― 68 ―1970年代後半以降になると、フォトジャーナリズムの価値に疑問が提示され、写真を取り巻く状況は大きく変化していく。従来のカルティエ=ブレッソン研究では彼が写真家としてほぼ引退したこの時期以降は対象とされてこなかったが、本研究では、この時期に、新しい価値観を背景に新たなカルティエ=ブレッソン解釈の可能性が模索された事例を掘り起こし、カルティエ=ブレッソン受容の新たな側面を見出したい。具体的には、70年代、80年代に『ル・モンド』紙に写真批評を書いていたエルヴェ・ギベールと、同時期に斬新な切り口の展覧会をいくつも企画しながら夭折したキュレーターのピエール・ド=フノイユに注目して現在では忘れられてしまった彼らの仕事におけるカルティエ=ブレッソン解釈に、現在の一般的なカルティエ=ブレッソン像を覆す要素を再発見したい。戦後、カルティエ=ブレッソンの写真は、「美術館」あるいは「ジャーナリズム」といった強固な制度との関わりで、知名度を獲得していくと同時に、「決定的瞬間」言説のような一面的な理解をされるようになる。本研究では、その一つの起点となった1947年ニューヨーク近代美術館のカルティエ=ブレッソン回顧展に注目し、同美術館アーカイヴに残された資料からその構成を探ると同時に、この時に中心的な役割を果たしたボーモント・ニューホールやカースティンのテクストを分析しながら、カルティエ=ブレッソン受容の文脈が1933年からどのように変化しているのか、ということを明らかにする。従来の写真史研究は、専ら写真家や作品の調査をもとに記述され、時代によるスタイルや傾向を写真という枠の中の影響関係で説明しようとしてきた。しかしとりわけ20世紀の写真は、旧来の美術、文学、ジャーナリズムといった他領域との相互関係の中でめまぐるしく変化してきたのであり、作品・資料の調査と同時に、他領域との関係にも重点を置いて研究する必要がある。本研究は、そのような視点から、カルティエ=ブレッソンという写真家を捉え直そうとする初めての試みであり、カルティエ=ブレッソン研究としてのみならず、ストリート・フォトやドキュメンタリー写真、フォト・ルポルタージュといった写真史の上で重要ないくつかのジャンルについて、これまでの写真史の構図を覆す可能性がある。同時に、ギベールのような、これまで注目されてこなかった写真批評を取り上げることで、とりわけバルトやソンタグを中心に語られがちなポストモダン期の写真批評に関しても、新たな側面を提示するものとなる。
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