鹿島美術研究 年報第28号
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― 69 ―㊻ 国沢新九郎の帰朝後の作品に関する研究㊼ 昭和初期帝展に出品された同時代女性像の成立背景の考察―鏑木清方門下の作品を中心に―研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 学術推進研究員  安 永 幸 史現在までの国沢新九郎に関する研究は、金子一夫氏によるような日本における本格的な洋画教育の先駆者としての観点からのものが主となっている(金子一夫『近代美術教育の研究 明治時代』1993年)。しかし、こうした観点から、国沢の持ち帰った西洋絵画技法書などについての研究が進む一方で、国沢の作品自体についての研究、あるいはその活動の画業という側面からの考察には、不十分な面もある。「彰技堂趣意書」において国沢は、西洋画法摂取の意義を、その写実的表現ゆえの実用性としている点で、江戸後期の洋風画家佐竹曙山から続く西洋画観をそのままに引き継いでいたとされる。しかし、こうした言説が、必ずしもその作家の活動の全てを反映しているわけではないということは、意識すべきだろう。公的な場では、それ以前の言説を踏まえた、比較的「妥当」な発言をしている可能性も考えられるからである。作家の発言は尊重するべき面があるとしても、国沢の活動が日本洋画界にもたらしたものの意義は、実際の行動との関連で捉えられるべきと思える。こうした考えのもと、本調査研究は、制作年代が明確な《坂本龍馬像》に注目し、その制作経緯や意味、作品の来歴などを考察することで、国沢の帰朝後の活動の意義の一端を、絵画制作の側から解明することを目的として行う。方法として、東京文化財研究所蔵「国沢新九郎覚書」などから制作当時の状況を可能な限り調べるとともに、《坂本龍馬像》の制作経緯や作品の来歴の調査を行う。また、同時代の他の肖像作品と構図や制作状況、目的の比較を行うことで、国沢の肖像画の特質及び制作活動の当時の意義について考察することも構想している。研 究 者:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程  矢 頭 英理子昭和初期の同時代女性を描いた作品については、当時そして現代においても評価は分かれており、否定的なものも少なくない。しかし、人物を主に描いた画系において、同時代の風俗を描くことは自然な欲求であったと思われる。

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