鹿島美術研究 年報第28号
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― 71 ―㊾ 斎藤佳三研究 ―1910年〜1930年代の資料における「芸術」概念―研 究 者:専修大学 文学部 専任講師  島 津   京本調査研究の第一の意義は、大正から昭和期にかけての斎藤佳三の活動を、より詳細に明らかにすることにある。斎藤の活動は多分野にまたがるため、専門毎に記述されることの多い、芸術史上における共通の問題を繋ぐことが可能になる(服飾と建築、絵画と図案等)。第二の意義は、いわゆる純粋美術/工芸の相違について、西欧アカデミズムの価値観とは別の斎藤の枠組みを明らかにすることにある。斎藤は純粋美術/工芸を区別していたが、それはヒエラルキーとは異なるものだった。「美術展」である帝展の第4部「美術工芸」部門への出品に意義を認める一方、「工芸」を生活に関わる芸術とみなし、そこに積極的な価値を見出した。斎藤の芸術観を整理することにより、同時代の日本における工芸家、美術家の意識も照射されよう。また、斎藤が大正から昭和初期にかけて講師として在籍した東京美術学校図案科の傾向を研究するための基礎資料となる。工芸との関係において存在意義が疑問視されていた図案科に対し斎藤は改革案を提示した。この時期図案科では、多くの「絵画」作品が卒業制作として提出されている。それらは未来派や表現主義に着想しており、西洋の新興芸術が美術学校では絵画科でなく図案科で受容されていたことを示唆する。また、今日における「デザイン」とも古い枠組みにおける「図案家」とも異なる「芸術家としての図案家」像が学生にも共有されていた可能性も浮かび上がる。

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