鹿島美術研究 年報第29号
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て絞り込み、最終的に日本・東洋美術部門から福岡アジア美術館の学芸員ラワンチャイクン寿子氏、西洋美術部門では東京藝術大学非常勤講師の小林亜起子氏の2名が財団賞受賞者に決定した。また、優秀者として各分野から早稲田大学大学院の清水紀枝氏と東京大学グローバルCOE特別研究員の小泉順也氏の2名が選ばれた。なお、財団賞の選考理由については、大髙委員と私が、それぞれの分野の選考理由を執筆したので、ここで読み上げる。《日本・東洋美術部門》財団賞 ラワンチャイクン寿子「日本の植民地統治下の美術活動優秀者 清水紀枝「12・13世紀の日本における如意輪観音像の展開」本論文は、台湾において日本統治時代(1895−1945)の1927−36年に台湾美術展覧会(以下台展)と1938−47年に台湾総督府美術展覧会(以下府展)が都合16回開催され、その官設の公募展には台湾人女性画家が少なからず参加していたが、そのほとんどが日本の帝展日本画部に相当する東洋画部への出品であったことに注目し、なぜ彼女たちが東洋画部へ集中したのか、どのような経緯で日本画を学ぶことになり、それにはどのような背景があったのか、これらの問題について考察し、あわせて代表的な台湾人女性「日本画家」である陳進(1907−98)の台展、府展東洋画部における役割について考察を加えたものである。考察にあたり、東洋画部に入選した台湾女性画家に共通することとして、まず彼女らがほぼ台湾女子教育の伝統校である台北第三高等女学校(第三高女)の出身者であること、入選が台展の中後期の第6回〜8回(1932−34)に集中していること、そして題材を多くが植物に求め、総じて写生に基づいて精緻に描いていることに着目し、これら3点から彼女たちが東洋画部に集中した要因として、第三高女の書及び図画の教諭であった日本画家の郷原古統(1887−1965、在台1922−36)の存在に負うところが大きかったことを指摘する。しかしながら、郷原の指導力や官展での影響力のみで台湾女性たちが日本画を選択したとはいいがたく、台湾女性を日本画へ導いた背景について、さらに考察を加え、大局的には台湾人の日本人への同化政策がその背景にあったとし、具体的には第三高女の教育方針であったように、植民地─植民地官展作家と審査員の作品の調査研究を中心に─」― 14 ―

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