鹿島美術研究 年報第29号
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 2.コレクターとしてのモーリス・ドニ    ―ゴーガン・コレクションの形成と展覧会の機能をめぐって― 発表者:東京大学グローバルCOE 特任研究員 小 泉 順 也後半が、後白河院政期にあたることに注目したい。後白河院はとりわけ観音信仰の篤かったことで知られるが、如意輪観音信仰との関わりを示す史料も散見される。また院はしばしば醍醐寺僧に命じて、如意宝珠を用いた修法を行わせているが、如意宝珠は如意輪観音を象徴する重要な持物であり、これが醍醐寺の如意輪観音信仰に基づく修法であったことが想定できる。加えて太子ゆかりの半跏思惟像が如意輪観音と称された寺院に、院が積極的に関与していたことも判明した。なおこの時期、院は平氏や寺社勢力との対立によって常に危機的状況にさらされていたが、太子信仰と如意輪観音信仰が共に、王権の守護と結びついていたことも注目される。すなわち半跏思惟形という日本独自の如意輪観音像が生み出された背景に、後白河院が関わっていた可能性について論じたい。その一方で、彼が同時代のフランス美術を蒐集するコレクターであったという事実は、これまで本格的な研究対象とはされてこなかった。無論、それにはしかるべき理由がある。つまり、2人の妻とのあいだに計9人の子供が生まれたドニの場合、子から孫へとコレクションが相続されていく中で、全体像の解明は難しい状況に置かれてきたからである。また、1980年にパリ近郊のサン=ジェルマン=アン=レーにイヴリン県立プリウレ美術館(現在はモーリス・ドニ=プリウレ美術館と改称)が誕生したナビ派の時期を経て、宗教画への回帰をそれまで以上に鮮明にしていったフランス人画家モーリス・ドニ(1870−1943)が、美術批評家としても健筆を振るい、いわば遡及的にフランス近代美術史をめぐる言説形成に関与したことは知られている。例えば、ポール・セリュジエがブルターニュ地方のポン=タヴェンにおいて、ゴーガンから直接教えを受けながら総合主義的な風景画《タリスマン(護符)》(1888年、オルセー美術館)を描き、これに刺激を受けた若手の画家たちが中心となってナビ派を結成したという逸話は、20世紀に入ってドニが繰り返し言及するなかで人口に膾炙したものであった。― 18 ―

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