鹿島美術研究 年報第29号
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 3.台湾の「日本画」と女性画家 発表者:福岡アジア美術館 収集展示係長 ラワンチャイクン 寿子ことは、ドニの復権という点では大きな意義があったものの、事前に遺族から寄贈を受けた作品と開館後に入手した作品が混在したために、コレクション研究の観点から見れば事態をより複雑なものにした。こうした状況を踏まえた上で、本発表ではモーリス・ドニ=プリウレ美術館に残された資料と、関連する美術館の所蔵品目録、カタログ・レゾネ、展覧会カタログなどを可能な限り渉猟することで、フランス近代美術という限定された範囲のなかで、ドニの旧蔵コレクションの再構成を試みる。そこでは、全体としてどのような特徴が指摘できるのだろうか。とはいえ、このようなコレクション研究には常にひとつの陥穽がつきまとう。つまり、作品の所蔵を確認できたとしても、それ以上の考察につながらないことが往々にしてあるからである。そこで後半では、ドニが蒐集したポール・ゴーガン(1848−1903)の作品に絞って、これらの所蔵作品がどのように活用されていたのかを、ドニのテクストならびに展覧会への出品履歴との関連において分析したい。犀利な洞察力をそなえたドニが、何の方針もなく同時代の美術作品を集めていたはずはない。絵筆と筆によって提示しようとした近代美術史の図式に供するかたちで、蒐集された作品は一定の役割を果たしたと考えるべきなのである。画家、美術批評家、コレクターといういわば三位一体となった活動の一端を明らかにすることで、総合的な視点に立った新たなドニ研究の可能性を示したい。この台展・府展には、台湾人女性画家が少なからず参加していた。しかし、そのほ日本統治下の台湾で1927年に始まった官設の公募展、台湾美術展覧会(台展)は、日中戦争勃発で中止された翌年、台湾総督府美術展覧会(府展)に引き継がれ、1943年まで開催された。帝展をモデルに諸制度が導入され、東洋画部(帝展日本画部に相当)と西洋画部が設けられていた。毎年盛大に開催された台展・府展は、台湾在住の画家にとっては貴重な作品発表、自己実現の機会であった。― 19 ―

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