9点の主題から構成される〈神々の愛〉は、オウィディウスの『変身物語』で語られる一般によく知られた古典的神話に取材している。しかし、《アポロンとクリュテイエ》と《バッコスとエーリゴネ》はその例外であり、フランス17−18世紀のタピスリーの諸連作のなかにも他に作例がない。また、2点の作品はその最も主要な購買者がルイ15世であり、王室に対するなんらかの特殊な意図をもって構想されたことが強く示唆される。本発表では、〈神々の愛〉に込められた制作意図を理解する上で鍵となるこれらふたつのタピスリーを考察対象とし、作品の図像的伝統、視覚上・文学上の着想源、ブルボン王朝の歴史と時代背景との関連性を視座に入れた作品解釈を試みたい。連作〈神々の愛〉(1747年より製織開始)をとりあげる。なぜこの時期にブーシェは国王の関心に焦点を定めたタピスリー制作を試みたのだろうか。世紀半ば、王権の擁護に有益な歴史画家を育成することを目指した美術アカ16−18世紀の版本挿絵におけるクリュティエの図像伝統は、太陽王の時代を境に大きく変化を遂げた。ブーシェが《クリュティエ》の構想を開始した1740年代半ば頃、オーストリア継承戦争を契機に国王ルイ15世を称揚する図像に顕著な興隆が見られた事実は注目に値する。《アポロンとクリュティエ》には、当時のブルボン王朝の政治的プロパガンダにふさわしい英雄アポロンとしての国王の表象に呼応しつつ、ルーベンスの連作〈マリー・ド・メディシスの生涯〉に着想源として構想された、国王とポンパドゥール夫人の愛を暗示させる詩的イメージが織り込まれている。一方、《バッコスとエーリゴネ》の構想にも国王と夫人の愛を祝福する意が込められている可能性が高い。この見解を裏付けるものは、文学上の典拠として指摘するバレエの台本『エーリゴネ』(1747)である。画家として精力的な制作活動を行っていたことはあまり知られていない。ブーシェのタピスリーについては、その来歴や注文主に関する基本情報が個別的に検討されてきた。しかし、作品の図像や様式をはじめ、下絵画家としての経歴に関するまとまった考察は、依然として重要な研究課題として残されている。本発表では、包括的なブーシェのタピスリー研究への取り組みの一環として、ブーシェの下絵にもとづくボーヴェ製作所のタピスリー― 21 ―
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