鹿島美術研究 年報第29号
48/104

なされている林谷であるが、その作風は専門的な修練を積んだものではなく、職業的文人画家であった大雅、蕪村などとは全く意趣を異にする。さらに、同時代の米山人、玉堂、木米、竹田とも個性上の共通点は見出せない。このことは、18世紀における職業的文人画家と、林谷をはじめとする19世紀の成熟した文人との、絵画制作に対する態度の差異を考察する上で、興味深い現象と考えられる。本研究は、文人・林谷の画業に関する基礎的研究を目指すと共に、林谷がその生涯を捧げた旅と、旅で出会った各地の文化人との交流に着目し、林谷を取り巻いていた文化的環境の実態を、絵画作品と文献資料の双方を通して、実証的に究明しようとする点に意義が認められる。価値:頼山陽や田能村竹田は、林谷の篆刻を殊のほか賞賛した人物であり、特に竹田は『竹田荘師友画録』において、林谷の絵画を「其の画は湿筆にして、意に随って飄逸、絶えて時習無し」と評している。竹田の評の如く、林谷の絵画作品には、自由気儘で飄逸とした戯画風のものが数多く遺っており、素人画家としての林谷の側面を物語る。しかしその一方、私がこれまでの調査で見出したように、頼山陽らと共に奈良月ヶ瀬を観梅に訪れた林谷が同行者の小石元瑞のために描いた「探梅巻」(早稲田大学會津八一記念博物館蔵)や、頼山陽・頼杏坪の賛を伴う「隅田川真景図」(個人蔵)など、およそ素人芸とは思われない極めて高い画技を示す作例もある。また、つい先だって調査の機会を得た「奇石図巻」(個人蔵)は、林谷の愛石趣味を証する作品として、新たな研究への展望を開くものであった。研 究 者:出光美術館 学芸員  廣 海 伸 彦国文学研究は、王朝の古典文学を代表する『源氏物語』と『伊勢物語』が、いくつかの場面で基本的な構想を共通させていることを明らかにしている。この研究は、その成果を前提としたものである。ふたつの物語が示す緊密な関係は、同様にそれらの物語を主題とする絵画の領域にも想定されてよいはずだ。ここでは、美術史研究の立場からのひとつの実験として、近世初期(16世紀末から17世紀初)に制作された源氏絵と伊勢絵を主たる調査対象に、双方が本来的には異なる主題の壁を― 33 ―⑪ 16、17世紀の物語絵画における異主題間の図様往還について─源氏絵と伊勢絵を中心に─

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る