鹿島美術研究 年報第29号
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いかに乗り越え、絵画としての表現をどういうふうに相関させているかを観察してみたい。とりわけ、土佐光吉(1539−1613)とその周辺の絵師による源氏絵作例と、慶長13年(1608)、角倉素庵(1571−1632)によって刊行されたいわゆる嵯峨本『伊勢物語』の挿絵、およびその図様を継受する伊勢絵諸作との比較を試み、両者の間に強く推知される主題越境的な図様往還の具体相を明らかにすること、またその現象の原因を探求することに、この研究の主眼は置かれる。まず、近世以前の源氏絵と伊勢絵の図様の展開を個別に分類整理する作業によって、それぞれの物語絵の図様系統がいずれも17世紀はじめころには一旦総括され、以降定型化の傾向をたどるという先行研究の成果が追認されるだろう。その上で、互いが画面構成の特徴を近似させる場面どうしを比較し、ふた筋の異なる物語絵の脈絡がやがて交錯し溶解してゆく重要な時点に、光吉系の源氏絵と嵯峨本系の伊勢絵が位置づけられることを検証したい。この研究の成果は、狩野派と土佐派のいずれの説もある嵯峨本版下絵の筆者問題に有益な材料を提供し、また、光吉を中心とする近世初期土佐派の研究の進展に寄与することもあるだろう。そして何よりも、従来は主題別に展開してきた感が強いふたつの物語絵画の研究において、すぐれて新鮮な視座を拓くはずである。研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程  藤 村 拓 也本研究は、ヘラルト・ダーフィットと注文主周辺をとりまく諸状況が絵画作品に反映されており、その解読に重要な役割を果たすという観点に基づく。絵画作品は画家と注文主の関係だけではなく、特定の信仰や職業等で結ばれた社会的絆、都市の有する重層的な歴史を背景として制作されていたことにも留意しなければならないのである。そこで以下の事項を中心に、画家と注文主が生きたブルッヘの社会的・文化的状況を復元し、絵画作品との照合を行うことで、ダーフィット作品の都市ブルッヘにおける意義を明らかにしたい。① ダーフィット作品には《カンビュセスの裁き》のように画中のモチーフを連関させて多様なメッセージを伝えるものや、《キリスト降誕》三連画外翼パネル《森林》― 34 ―⑫ 「ブルッヘ」の画家ヘラルト・ダーフィット─人的・社会的ネットワークからのダーフィット作品解読─

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