鹿島美術研究 年報第29号
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のように他に類例の無い作品が存在する。これらの制作背景には素養ある助言者の存在が想定されるが、先行研究では触れられていない。私は、その助言者として都市修辞家と呼ばれる文化人サークルを考えている。彼らは都市儀礼において演劇を呈示することで、観客に多様なメッセージを伝えていた。これはダーフィット作品の複雑性と共通する。そこでブルッヘの都市修辞家の諸相を明らかにし、それらがダーフィット作品に反映されている可能性を検証する。② ダーフィット自身も含め、当時のブルッヘに生きた人々は様々な団体に参与していた。ダーフィット作品の注文主同定は行われてきたが、その注文主の属する団体が如何なる思想や信仰を有していたかについては看過されてきた。しかし注文制作された作品にはその主の心性が反映されているはずであり、それは作品の解読に重要な役割を果たすと考えられる。上記①の検証も含め、画家周辺の人的・社会的ネットワークから浮かび上がる作品制作のコンテクストを絵画作品の意味内容と照合し、その機能を明らかにする。また、絵画作品のメッセージが当時のブルッヘにおいて如何なる意義を有していたかを考察していく。以上のように都市ブルッヘの有する多様性の中からダーフィット作品を捉え直す本研究は、彼の作品解読を進展させることが期待される。また、当時の人的・社会的ネットワークの中に絵画作品を位置づけ解読する本研究の視点は、ブルッヘにおける時代の目撃者としてのダーフィット作品の重要性を呈示するための指標となりうるだろう。研 究 者:早稲田大学 非常勤講師  陸   偉 榮中国近代版画の研究は、中国近代美術史の諸分野においても最も重要なものと位置付けられよう。版画はまず文学や文学者との関係から注目される。中国新興版画運動(中国では「木刻」ともいう)は文学者の魯迅が生みの親とされている。また近代の木刻は諸外国の版画とも深く関係しており、魯迅は1931年に上海で日本人を招いて「木刻講習会」(創作版画講習会)を開催し、ドイツの版画やソ連の版画など、先進的な外国美術の紹介に力を尽くした。しかし魯迅の影響下にあった青年たちによってその後どのような作品が制作されたのか、その全貌や、作品に見られる日本や諸外国と― 35 ―⑬ 近代中国における版画運動の発生とその転変

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