鹿島美術研究 年報第29号
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の影響関係などはまだほとんど検証されていない。日中戦争期では、美術家たちのとった行動は、重慶や桂林など国民党の管轄下の官制組織に入るもの、北京や上海の日本軍占領地域に残るもの、延安の共産党政権に協力しその宣伝活動を行うもの、とさまざまであった。その異なる選択によって制作事情や作品の性格も変わったが、それらの相互関係や共通点などは不明なところが多かったため、この調査や分析によって全体図が見えてくるだろう。とくに延安の共産党政権を選んだのはシンパの進歩的な青年美術家たちで、その多くは魯迅が興した新興版画運動に身を投じたが、この撰択は魯迅の新興版画運動とは何か因果関係になるのか興味深い。中国近代美術の主役を担った版画の、それを解明することで研究が大きく進捗できると考える。研 究 者:大阪大学大学院 文学研究科 博士後期課程  磯 谷 有 亮本研究の主な目的は、以下の二点である。1)ジュ・ド・ポームで1923年から1938年までに行われた展覧会の実証的な考察を通して、「現代外国美術館」としての役割と、その総合的な活動内容を明らかにすること、2)1)で得られた結果を元に、両大戦間期を通しての各国の政治・外交情勢の推移と、美術界におけるパリという場の地政学的な位置づけを考慮しつつ、当時の美術状況をパリを中心としたトランスナショナルな枠組の中で再検討すること、である。1)「現代外国美術館」の活動の総合的研究1923年から1938年まで、両大戦間期全体に亘り外国美術展を継続的に開催した「現代外国美術館」は、パリの公立美術館ではほぼ唯一の外国美術の受け皿であり、フランスと諸外国の文化外交上、不可欠な施設だった。本研究では未公刊一次資料の調査に基づき、同館で開催された計19の美術展を開催経緯、展示状況、受容の側面から詳細に検討する。そこから、各国にとって、パリでの自国美術展示が有した政治的意義を明確にする。加えて、「現代外国美術館」の成立背景、運営状態や、関係者の顔ぶれの検討を通し、フランスの美術政策における同館の位置づけを考察する。その上で、ナショナリズムが高揚した当時のフランスにおける外国美術受容の様相をも明らかに― 36 ―⑭ 両大戦間期のジュ・ド・ポーム─「現代外国美術館」としての活動の総合的研究─

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