帰国後には室内装飾の仕事や、木版画、染織品、皮工芸などの制作を手掛けていた。その後、楽焼から始まった陶器作りが本格化し、故郷の奈良県安堵村に窯を築いて作陶が始まるのだが、こうした初期の富本の活動は、現存する作品や資料が少ないため不明な部分が多い。本研究で調査する富本が遺した資料約1000点は、明治末期から昭和30年代までの写真が中心で、これまで詳細が不明であった富本初期の活動の状況や、現存が確認出来ない陶芸作品など、貴重な資料が多く含まれている。写真の大半は、富本自身が撮影したものと思われ、大別した内容は下記のとおりである。① 未発表、現存不明のものを含む富本の「陶芸作品」② イギリス、エジプト、インドなどで撮影された「留学時代の作品」③ 大正期に撮影された「創作模様考案のためのスナップ」④ 自宅及び地方の窯場での「制作風景」⑤ 自宅や画廊などで開催された「展覧会会場風景」⑥ 「富本家の住居及び室内風景」⑦ 「家族及び友人とのスナップ」写真のなかで最も多いのが、①「陶芸作品」である。もともと多作な富本であるが、①にはよく知られている富本の作品のほかに、これまで未確認であった陶磁器や、初期の楽焼、土焼、色絵磁器などが含まれている可能性が高い。②は留学中の富本が何度も訪ねたというヴィクトリア&アルバート美術館の所蔵品をはじめ、イスラム建築調査のために訪ねたエジプト、インドの建物やレリーフの写真などで、留学時代の富本の志向が見られ興味深い。③は、故郷の奈良県安堵村の風景や道端に咲いた草花を写したもので、富本が考案した創作模様と関連の深い写真が多く存在するため、これらを精査することにより模様を創作する過程の一端を知ることが出来る。⑤の「展覧会会場風景」は、富本のパトロンのひとりであった野島康三が経営する兜屋画堂での会場風景や、祖師谷の自宅内で開催された窯出しのあとの展覧会の様子1926(大正15)年に東京、祖師谷へと自宅と窯を移転した富本は、この頃から毎年のように全国各地の窯場を訪ねて、安価な量産品の制作や、色絵の研究を行った。④には、自宅の窯での作陶のほか、信楽、波佐見、瀬戸、京都、九谷での制作風景があると思われる。― 38 ―
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