が収められている。⑥及び⑦は、富本のプライベートの部分ではあるが、多くの友人、知人たちとのスナップは、当時の美術家や文化人との交流の様子を知るうえで貴重な資料といえる。さらに、『青鞜』で活躍した尾竹一枝と結婚した富本は、封建的な風土が根強い安堵村で、周囲の目を気にすることなく西洋の暮らしを取り入れた独自の家庭を築いていた。建築設計を学び、室内装飾に興味があった富本ならではのモダンな生活空間作り、家具や作品の飾り方などが写真から見て取れる。本調査では、これらの写真、資料を接写した紙焼きを作り、それらを整理して、今後の富本研究の基礎資料となるデータベースを作成したい。この作業を行うことで、これまで詳細が不明であった富本初期の活動が明らかとなり、さらには「陶芸作品」写真の精査によって、実際の作品が発見される可能性もある。本調査により陶芸家富本憲吉の知られざる活動や、交流関係、新たな作品が発見され、さらなる富本研究が進むものと考えている。研 究 者:福岡市博物館 学芸員 杉 山 未菜子武家女性の小袖類は、比較的多くの遺品にめぐまれている。しかし、その意匠は類型化著しく、華やかな意匠展開を見せる町人女性の小袖に比べると、作例個々の特徴を明確にし、そこから、時代の変遷をたどろうとする意識は低かった。近年、旧福岡藩主・黒田家の菩提寺の一つである崇福寺から小袖裂が発見された。これらは、意匠と加飾技法の特徴から、武家女性の盛夏の正装用の料である「腰巻」の裂と判断できた。また、一部の裂の文様中に配された家紋が示す婚姻関係から、元の「腰巻」の着用者の候補が推定できたが、その結婚時期や没年は、いずれも元禄から宝永年間におさまる。よって、崇福寺に裂となって伝来した「腰巻」は、着用者とその没年(元禄14年)が判明し、制作時期が限定できる国立歴史民俗博物館所蔵の在銘裂の「腰巻」と近い時期に制作された可能性がある。本研究は、この崇福寺伝来の「腰巻」裂の編年上の意義と資料的価値をより明確にするために、「腰巻」遺品の調査を行い、「腰巻」特有の意匠の成立と類型化のプロセスをさぐり、個々の作例の編年の可能性を検討しようとするものである。― 39 ―⑯ 武家女性の小袖服飾に関する調査研究 ─腰巻を中心に─
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