鹿島美術研究 年報第29号
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研 究 者:神戸市立博物館 学芸員  石 沢   俊鶴亭(1722〜85)こと海眼浄光(はじめ浄博)は、長崎で熊斐から沈南蘋風の写実的な花鳥画を学んだ後、上方に南蘋風花鳥画を初めてもたらした画家として知られている。それは、上田秋成による木村蒹葭堂伝『あしかびのことば』の「長崎の僧浄博といふ人、はるばる我郷に遊びて、もろこしの沈南蘋てふ人の法もて、もはらゑがきたまへる、(中略)我さとに沈氏の名をとなへじはじめし人なりき」という一文でも知られるところである。鶴亭は伊藤若冲や池大雅、与謝蕪村をはじめとする上方の近世絵画への影響の大きさから近年注目を集めている。本研究は「南蘋派」の枠組みに縛られることなく、鶴亭の画業を明らかにすることを目的としたものである。鶴亭は南蘋派の一人と位置付けられているが、その画を見てみると、南蘋や熊斐の作品特有の濃厚さが全く感じられない軽淡な感覚の作品が多い。南蘋派の作品に特徴的な「謎語的吉祥性」(音による語呂合わせ)も鶴亭画では決して強くは打ち出されていない。また、鶴亭の作品には、南蘋というよりも他の明清の画家たちの影響を受けたと考えられる表現が多く認められる。これらの点から、鶴亭を「南蘋派」という枠組みから解放し、画そのものを比較検討することで、鶴亭画の特質が明らかになると私は考えている。 「腰巻」は、衣裳としての体裁が明確であり、おしなべて、黒紅に染めた練貫の上に、刺繍という単一の加飾技法を用い、もれなく吉祥的な意味合いを持つ小振りな文様モチーフを身頃全体に配列する。「腰巻」遺品に見られるこうした意匠、加飾技法の限定性は、かえって作例個々の特徴を際立たせる。つまり、「腰巻」遺品を詳細に観察し、文様モチーフの選択や配列の仕方、モチーフ造形にあたっての刺繍の手法の細かい相違や巧拙を把握し、比較することで、他の小袖類に比べてよりクリアに作例個々の特徴を明確化し得る。さらに、それぞれの特徴について、制作時期の違いを示すものなのか、あるいは、制作環境や着用者の身分階層など、ほかの要素に起因するのかを整理・検討することで、類型化著しいとされる武家女性の小袖服飾の意匠と加飾技法に内在する資(史)料的価値について、一定の見解を提示することが出来ると考える。― 40 ―⑰ 鶴亭の画業に関する研究

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