鹿島美術研究 年報第29号
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た第2次世界大戦後の旅行以前の旅の、行程や記録等の整理は未だ十分になされていない。また、グリゼルダ・ポロックがAvant-Garde Gambits 1888−1893: Gender and Color of Art History(1992)の中で示した、「ツーリスト」としてのゴーギャンの再解釈のように、美術史においても、旅を社会学的な視点を含めて学問的に検討し、制作活動と結びつけて具体的に分析する試みは進められている。しかしノグチに関しては、カレン・カプランを引用したアンナ・C・チャイヴの論文“Brancusi and Noguchi: Towards ‘A Larger Defi nition of Sculpture’ (2001)”を除くと、こうした方法論を用いた研究には、まだほとんど手がつけられていないのが現状である。従って、ノグチ研究において、「旅行(移動)」の問題は、彼のアイデンティをめぐる、ややロマンティックな語りにとどまっていると言わざるを得ない。そもそも旅行とは、ある人物がある時点において彼/彼女にとっての日常を離れて「他者」を求める行為であり、これは芸術家の場合も同様である。従って、ノグチの旅行も、彼の人生を象徴するアイデンティティの探求である以前に、個々の文脈に即した時代状況や制作状況と結びついた行為として一つずつ具体的に検討されるべきであり、それによって、作品に新たな解釈の可能性が開かれるものと考える。本研究では第1に、1920年代末から1960年代半ばのノグチの旅に関するテキスト及び写真やデッサン等の資料を整理し、それらの分析を通じて、訪れた土地やその文化がどのように表象されているのかを明らかにする。第2に、これらの時期に制作された作品を調査し、これらの作品にしばしば指摘される様々な文化からの「影響」に注目して、個々に検討し直してゆく。「他者」の表象とも言うことのできる旅の記録を介して作品分析を行うことによって、アプリオリなものとしての異文化からの「影響」の結果としてではなく、彼のその時々の理解と応用の産物として、ノグチの作品を捉え直してゆきたい。本研究はいわば旅の美術史という視点を、ノグチ研究において、新たに提示するものである。慣れ親しんだ日常を離れて「他者」の地を訪れることにより両者の対比がとりわけ強調される「旅行/移動」という事象に注目しながら上記の2点に取り組むことにより、最初アカデミックな彫刻を学んでいたノグチが、抽象芸術や非西欧の事物、ファイン・アート以外の分野等、実に様々な未知の領域を、いつどこでどのように捉え、自身の作品に展開していったのかを明らかにすることを、本研究の目的とす― 44 ―

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