鹿島美術研究 年報第29号
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を描く行為においても想定される嗜好であり、景観表象はすなわち、さまざまな知識が統合・蓄積されたものであると仮定できる。物語のメッカとして、清水寺が登場するお伽草子は枚挙に暇がない。では、清水寺は、篤い信仰心・憧憬の念に裏打ちされた一連の文芸作品を背景として、人々からどのようなイメージが寄せられていたのか─。また、〈清水寺物〉ともいうべきお伽草子絵巻を豊かに展開させる、絵画に蓄積した清水寺のイメージとはどのようなものであるのか─。本調査研究のごとく、『鼠草子』や『小男の草子』、『しぐれ』などの作品について、〈清水寺〉を切り口に作品研究を試みることは、お伽草子絵巻研究への寄与のみならず、同時代の所産である参詣曼荼羅や洛外名所図などとの、作品形態の差を超えた有機的なつながりの考察にも相互に裨益する。すなわち本調査研究より得られる成果は、お伽草子絵巻研究に閉ざされるものではなく、中世末・近世絵画における景観表象の議論、さらに中世説話世界と絵画の構造化の議論へと展開する価値を有するのである。研 究 者:愛知県陶磁資料館 学芸員  長 久 智 子 カイ・フランクは、合理的な造形感覚とミニマムかつ繊細な色使いで今なお非常に高い国際評価を得ている、フィンランドの陶器・ガラスウェアデザイナーである。特に市民の日常生活への深い洞察に基づく食器デザインは、高度な機能性と汎用性から時代を超える匿名的な普遍性をも獲得している。日本では、産工試が北欧機能主義デザイナーの代表として彼を招聘するなど、1950年代を中心にプロダクト・デザイン界へ積極的に紹介された。その一方で、カイ・フランクには招聘以前にも来日経験があり、益子へ濱田庄司を訪ねた記録も残る。旅を愛した彼が、終生特別な愛着を示したのが日本、特にその農村風景や風土であったことは特筆すべき事実である。カイ・フランクの親日的関心を、同時期のスウェーデン陶芸界と濱田庄司ら民藝作家の交流に重ねることが可能である。1950年代、北欧デザイン・工芸の黄金期におけるフィンランドとスウェーデンでの立役者たちに共通した、民藝的日本工芸との共鳴については、柳宗理による考察などで個別に触れられてはいるものの十分に整理・比― 47 ―㉓ カイ・フランクのプロダクト・デザインと民藝運動

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