較検討されている段階ではない。北欧機能主義の優れた体現者であったカイ・フランクのプロダクト・デザインと、一見相反するような民藝運動の理念の共通項を、1950年代北欧デザイン・工芸全体の中で考察することは、北欧機能主義デザインがもつ工芸的指向と工業的指向の融和の原点を考察する上で意義あることと考える。 私が所属する愛知県陶磁資料館における2013年度の展覧会企画の一部として構想する。北欧諸国のデザインに関する展覧会については「世界現代工芸展 スカンディナヴィアの工芸」(東京国立近代美術館ほか、1978年)などがある。国内でのこれら企画展に加え、「カイ・フランク ユニバーサル・フォーム」展(デザインミュージアム、ヘルシンキ、2011年)などを踏まえた上で、新たな切り口として日本の工芸運動との親密な影響関係、工芸と工業の知的な和解としての北欧機能主義デザインを改めて紹介するものとしたい。研 究 者:神奈川県立歴史博物館 学芸員 小 井 川 理白綾屏風については、文献資料の分析により、平安時代中後期の事例として、屏風の表面に白綾を貼り、文様は桐竹文や桐竹鳳凰文を表し、裏面には立涌雲文の綾絹を貼ることが確認されている。しかし、文様がどのように表されていたのかについては十分な考察が行われていない。また、白綾屏風は、鎌倉時代以降、宮中財政の逼迫や儀式の弛緩などを背景に、基底材に平絹や白唐紙を用いて桐竹文を描く技法上の変化を経て、南北朝時代には白紙貼に松竹鶴亀図を描く白絵屏風が成立すると指摘されているが、白綾絹という基底材の文様として屏風表面に現れる桐竹文と、白紙貼の屏風を画面として松竹鶴亀を描くこととは、表現様式として大きな隔たりがある。また、天皇が着用する袍の文様としての歴史を有する桐竹文や桐竹鳳凰文と、蓬莱文様と関わる吉祥性の強い文様として受け継がれた松竹鶴亀文とでは、文様の意味という点でも同一には論じられない相違がある。産所という場にふさわしい色の選択として同じ「白」を表現の核としながら、白綾屏風と白絵屏風の間には、素材と表現技法の相違という見逃すことのできない違いが存在している。本研究では、白綾屏風の形態と、制作および受容の様相について、文献資料と絵画― 48 ―㉔ 「白綾屏風」の復元的考察
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