の成り立ちに対し、客観的な見解を呈することにつながるという点にもある。芳崖の実像に迫ることで、近代日本画草創期の新たな側面を見出すことが期待できよう。今後は、本研究を足がかりに、最晩年の作品、また御用絵師時代の作品の精査を重ね、公開を目指した芳崖作品のデータベースを作成しようと考えている。本作業が、近代日本画の再検証を行う重要な資料となることは疑いなく、今後の研究にも大いに活用できるものと確信している。研 究 者:早稲田大学會津八一記念博物館 助手 町 田 つかさパブロ・ピカソの1950年代以降の立体作品を対象とする本研究は、以下のような意義を有する。第一に、本研究はこれまでのピカソ研究を複数の観点から補完するという意義を持つ。ピカソは生涯にわたって絵画に劣らぬ数の立体作品を制作し続けてきたのにもかかわらず、従来それらが絵画のように頻繁に研究の対象とされることはなかった。特に第二次世界大戦以降、特に1950年代からのピカソの創作活動は、絵画も含め、その前半生と比較してやや軽んじて扱われてきたように窺える。本研究により、ピカソという一人の作家史を考える上で未だ十分には検討されていない「立体作品」「1950年代以降」という2つのトピックを同時に補完することが可能になる。第二に本研究は、ピカソという美術史の中で孤立しがちな作家を、他の作家たちとの影響関係の中に位置づけることを可能とする。1950年代は、特にアメリカ・ニューヨークを中心に、ディヴィッド・スミスらピカソの次世代に当たる立体作家たちが台頭しはじめた時期でもある。彼はしばしば1900年代初めのピカソの立体作品に影響を受けていることを告白している。これら明確な影響関係にある次世代作家による同時代の立体作品と比較することで、ピカソの立体作品の独創性がより明確なものとなることが期待される。1950年代以降にピカソが手掛けた数多くの作品は、今なお未整理のまま、先行する短絡的なイメージによって一括りに語られることも少なくない。この時期の絵画や立体がピカソという作家のいかなる表現上の問題意識のもとに制作されたのか、またそれがなぜその時期に制作されるに至ったのか、作品が制作されてから半世紀が過ぎた― 50 ―㉖ パブロ・ピカソによる1950年代の立体作品について
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