図像要素を強調する点にこそ、ハプスブルク家の意図を指摘できる。第三に、ウィーンに現存する、欧州最大の中世設計図コレクションである。先行研究が専ら注目したのは幾何学などの技術的側面、あるいは作家の同定であったが、これに対して本研究では、図面における様式の分析と機能の検討および分類を通じ、芸術家の構想と、その実行までの経緯の解読を試みる。以上の考察を通じて、特殊な建築形式であるが故に、これまで建築図像の見地から明確な解釈の示されていなかったハプスブルク家、換言するならば皇帝の構想を明らかにすると共に、こうした施主からの要請を受けた芸術家が、芸術的課題を克服するためのアイディアを構想し、それを実現させるまでの造営プロセスの解明を目指したい。研 究 者:青山学院大学大学院 文学研究科 博士後期課程 岡 田 麻 未本研究の意義は、初期女神像の成立を唐装の女神像に注目することで明らかにすることである。これまで初期女神像の唐装の形成は、天部形の服制や世俗的な服制が関与していると想定されてきた。しかし女神像と天部像や世俗的な服制との関係は未だ明らかでない点が多く、まあ装束全体としての研究はあるけれど、個々の神の図像と服制がどのように対応するのかという研究は進んでいない。さらにそれぞれの女神像によって服制に違いがあるが、細部の相違などは考慮されていないことも問題である。本研究の価値は、いわゆる「唐装束」や「唐服」として、これまで一括りにまとめられてきた唐風の装束の概念を規定することで、それが女神像とどのように関係するのかを明確にし、初期女神像の成立を考察する指針を構築することにある。全体の構想としては、まず作品を鎌倉時代までの神像彫刻・垂迹画・絵巻など幅広く対象とする。そしてそれらの作品を見渡しながら通説を再検討して装束の部分名称を規定する。ここでは中国・朝鮮半島の服制との関係も視野にいれることで、日本における変化を明らかにすることができると考える。次に、衣の種類・着用法・装身具等について考察し、神性や年代による違いを明らかにして細部形式の分類を行う。特に造立年代が明らかな女神像については、年代に― 52 ―㉘ 初期女神像の唐装についての一考察
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