呼ばれたドニは、自らも敬虔なカトリック信徒として数多くの宗教的主題を描いている。最初の妻マルトの死後、ドニは信仰と聖なる芸術の一致を謳い、友人ジョルジュ・デヴァリエールとともに1919年に宗教画塾(アトリエ・ダール・サクレ)を開設した。この画塾は1943年のドニの死後自然消滅するまで20年以上にわたり続けられた。この間、ドニは様々な教会堂の装飾を手がけている。この画塾の特徴は、聖なる芸術にたずさわる者は自らも信仰の生活を守るべきであると考えた点にある。フラ・アンジェリコを敬愛したドニの理想が形となったといえよう。しかし、この画塾の活動が参加者について、近年少しずつ論じられてはいるもの、残念ながら体系的に明らかにはされていない。本年度私が担当している「モーリス・ドニ」展では、ドニの家族を描いた作品を切り口にその芸術世界を再検証しているが、聖書の場面を描いた作品において、ドニは家族や子どもたちに象徴的な役割を与えている。信仰と制作活動の一致を唱えたドニであるが、実際の作品には自らの生涯が色濃く反映されている。ルオーやシャガールに通じるきわめて個人的解釈が表現されているといえる。ドニは現代生活のなかに聖なる光景を見出そうとしていたが、この理想が画塾の作例にどのような影響を与えたのか、さらにクーチュリエ神父のアール・サクレ運動にどのような変化を与えたのか、十分には考察されていない。ドニとキリスト教に関しては、その伝統的な背景やドニが記した理論集について言及されるものの、実際に制作された作例に沿って論じられることは少ない。とくに画塾時代は教会堂装飾が主であり、またその下絵が公開される機会も少ないため、絵画作品よりも研究が進んでおらず、さらなる調査の必要があるだろう。宗教画塾の再評価は、単なるドニ論にとどまらず、20世紀フランスにおけるキリスト教美術の展開を検証する重要な手がかりになると考えている。近年、ドニの果たした働きが再検証されつつあるものの、多くはモダニスムの視点から新旧の交代として表面的に扱われてきた。しかしクーチュリエ神父のアール・サクレ運動への継承、さらに両大戦間の抽象絵画、とくにジャン・バゼーヌら「フランス伝統の青年画家」グループの作品群、さらに戦後のスーラージュ、クロード・ヴィアラに至るまで、20世紀フランス美術史を彩る画家たちが聖書に取材した絵画やステンドグラス装飾を手がけており、ここに大きな水脈を見つけることができるのである。一方、ドニ研究においても単なる装飾論にとどまらない新たな視点を提示できるのではないかと考えている。壁画や店舗のための絵画、壁紙のデザインなど装飾画家としても論じられるドニ― 54 ―
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