絵の三枚続作品が、数多く出回っている。前後者ともに三代豊国を中心とした歌川派の絵師が画を担当しているが、暁斎も多くの作品に携わっている。以上のような構想をもって、当時の浮世絵界の主流である歌川派との関わりを究明することにより、この時期における暁斎の画業に対する従来の評価に一石を投じるつもりである。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 足 立 純 子かつての東西冷戦構造やマイナー言語のため、日本ではハンガリー美術に触れる機会が少ない。また建築という研究対象が、絵画を至上とする美術史の一傾向から理解されにくかったことなども重なり、この領域の研究は活発とはいえなかった。本研究はハンガリーとイギリス、産業化におけるいわゆる中央と周縁の関係から説き起こすことで、世紀の変わり目のヨーロッパ美術を捉え直す上で横断的な理解を助けるものとなろう。初期キリスト教美術がローマ帝国美術の表象大系を導入したように、国民国家を志向した19世紀末のヨーロッパ周縁国においても、自国独自の建築造形は突如獲得されたのではなく、先進国の建築要素、装飾モチーフ、体系などを消化して生み出されたはずである。私はこれまでレヒネルの手がけた公共建築の外観において、ハンガリー性を表現するにあたり、彼の外国体験がどう関与したかを解明してきた。イギリスの体験から、ハンガリー人のルーツが東方にあることを示すべくオリエンタリズム建築を用いるに当たり、イギリスに植民地化されるムガール建築に特徴的なモチーフを避け、列強諸国と対等な立場を確保しようとしていることを指摘した。多弁形アーチをもつ柱廊が巡るハンガリー工芸美術館の中央ホールは、一見ムガール風で、これと異なる論理を適応しているように思われる。同館のガラス天井を支える鋳鉄製のアーチには、装飾19−20世紀転換期に活動したレヒネル・エデンは、ハンガリーのアール・ヌーヴォー期を代表する建築家の一人である。本調査研究の目的は、工芸美術館(ブダペスト、開館1896)の室内デザインにおいて、イギリスの影響を分析し、どのような意図の元にイギリス旅行での成果を導入したのかを明らかにすることにある。― 59 ―㊱ ハンガリー工芸美術館(レヒネル・エデン設計)の建築デザイン研究─イギリス芸術との関連を巡って─
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