的なカスプや花型の抜き文様が見られる。これに着目し、南インドの建築と、サウス・ケンジントン博物館やオックスフォード大学博物館の展示室の造形が関与しているとの仮説を立て、写真資料や実見を通じて検討していきたい。研 究 者:東京国立近代美術館 主任研究員 木 田 拓 也これまで私は、日本の近代工芸、とりわけ、明治後半から1950年代の工芸美術を中心に、調査研究を重ねてきた。しかし、その視界の中には、日本の統治下にあった朝鮮半島や台湾における動向はまったく含んでこなかった。だが、歴史的に振り返ってみるならば、帝国主義政策をとり、対外進出をすすめてきた「日本」の版図は、当時にあっては、現在の「日本」の国境を越えて、朝鮮半島、台湾、シベリア半島、南洋群島、そして、中国東北部へと広がりを持っていた。近年にあっても、韓国側からは、例えば竹島問題のように、歴史認識の問題が繰り返し問い正されており、いまだ日本と韓国との間には、心情的なわだかまりが根深く存在しているように思われる。しかしながら、冷戦構造崩壊後の新しい国際秩序に向けて、近隣諸国、とりわけ、韓国や中国との友好関係を構築しようとする取り組みが模索されている現在の日本にとっては、きちんと過去に向き合うことがむしろ求められているのではないかと思われる。2003年には、東京芸術大学大学美術館と京都国立近代美術館において韓国国立中央博物館が所蔵する日本の近代美術作品の展覧会が開催され、韓国に残されている戦前期の日本の近代美術作品の存在が脚光を浴びた。また、2008年には町田市立国際版画美術館において、「美術家たちの南洋群島」展が開催された。こうした展覧会からは、旧日本領を幅広く視野に収めた「日本近代工芸史」というものが語られるべきなのではないか、と思わされた。というのも、日本の統治下にあった地域もまた、当時においては「日本」の一部であり、そこでの日本人工芸家による活動もまた「日本近代工芸史」の一部分をなしているとみなすべきだと思われるからである。― 60 ―㊲ 日本統治時代の朝鮮美術展の工芸 ─もうひとつの日本近代工芸史─
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