鹿島美術研究 年報第29号
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後美術の中心となるニューヨークで活動を展開してきた。当初からジョン・ケージやジョージ・マチューナスらと交流し、フルクサスの芸術運動に参加すると同時に、アメリカに移住していたマルセル・デュシャンに強い影響を受け、デュシャンをモチーフとする連絡「デュシャンピアナ」を制作。また、のちに夫となるナムジュン・パイクとの相互影響から、ヴィデオを素材とする作品をいち早く制作し、その独創的な作品は「ヴィデオ彫刻」という言葉を生み出した。このように、新しいメディアで先駆的な活動を行ってきた久保田だが、国内での作品紹介や調査研究はまったくと言っていいほど進んでいないのが現状である。久保田成子の初期の仕事は、フルクサスや1960年〜70年代のニューヨークのアートシーンと深く結び付いている。日系女性である彼女の活動を精査することで、アメリカの戦後美術の新たな側面をあぶり出すことができるのではないだろうか。また、ナムジュン・パイクと生涯のパートナーとなった久保田は、互いの制作に影響を感じさせながらも、独自の作品を生み出そうと奮起していた。パイク作品との比較分析を通して、ヴィデオ・アートの展開を再考することができるだろう。上記のように、久保田成子は国際的に注目すべき活躍をしてきたにもかかわらず、その作品は国内には数点しか所蔵されておらず、また国内の美術館での個展は、1992年に原美術館で開催されたのみである。彼女の作品の大部分は現在、ニューヨークのアトリエと倉庫に保管されているため、その全面的な調査研究を行い、その成果として、国内での認知や評価に向けて、久保田の作品を中心とした企画展を開催したいと考えている。研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士課程後期  田 林   啓中国の西域との交渉の門戸として前漢代より機能してきた敦煌には莫高窟という世界最大規模を誇る石窟がある。この莫高窟の早期窟の中でも最も著名なものに第285窟がある。北魏末〜西魏初(6世紀前半)に開削されたこの窟の壁画には、中国的要素と西域的要素がいずれも濃厚にみられる。従来の研究では、莫高窟早期窟はキジハ石窟をはじめとしたクチャ地域の影響を強く受けていたとされるが、第285窟の西域― 62 ―㊵ 中国新疆ウイグル自治区ホータン地域出土の仏教美術に関する調査研究─中国甘粛地域の仏教美術との関係を踏まえて─

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