鹿島美術研究 年報第29号
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着することのなかった主題である。これは賢明公にかわるヨハン堅忍公の統治期間内で扱われた主題であり、彼の政策や信仰的立場、宮廷文化などの文脈は、作品を分析する上で考察の必要性があるだろう。しかし先行研究は、このような背景をふまえた上で作品を十分に分析しているとは言い難い。またクラーナハの《メランコリー》は、デューラーの1514年の銅版画《メランコリアⅠ》を下敷に制作しており、いくつかのヴァージョンがある。これまで多くの研究者がデューラーの影響という点で作品を比較してきたが、一連の《メランコリー》作品全てを扱ったり、モチーフの変遷という観点からとりあげることはなかった。作品にヴァージョンがあるのは、画家や当時の社会におけるメランコリーの概念の多様性を示唆するものではないだろうか。つまり、プロテスタントという信仰的側面や人文主義の影響、15−16世紀の作品という視覚的源泉などの諸問題から、作品をとらえなおすのは可能だと考えている。そこで本研究は、クラーナハの《メランコリー》を同時代の美術やヴィッテンベルク宮廷という社会的文脈と関連づけて、教訓画としての機能や異教的表現という点から考察してゆくことを目的とする。作品内の魔女を思わせる女性や悪魔の幻想、プットーの遊戯などから、魔性や異教性の視覚化という点に着目し、15−16世紀のドイツにみられる伝統的表現と比較を扱ってゆくことにする。そのような表現は教訓画と結びついていることが多いので、同時期に制作された《ウェヌスと蜂蜜泥棒のアモル》や《不釣り合いな恋人》のような、愛情についての教訓を示唆する作品との関連性を論ずることも、作品やメランコリーの概念をより明確にしうると考えている。以上のように15−16世紀ドイツの土着の異教表現や教訓画の伝統という視覚的影響と、同時代のヴィッテンベルク宮廷の状況という点から具体的に論じてゆくことは《メランコリー》作品群の解釈にとって有益であるだけではなく、北方独自の表現の継承と発展を考察してゆく糸口になるはずである。研 究 者:群馬県立土屋文明記念文学館 主任・学芸員  中 田 宏 明香取秀真を、鋳金作家、金工史研究者、歌人、としてそれぞれとらえるのではなく、― 64 ―㊷ 香取秀真研究─鋳金作家として歌人として ─津田信夫と対比させながら─

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