総体として把握し、そのうえで工芸、美術の問題に立ち返り、新たな視点を獲得したい。まずは歌人としての研究を重点的に行う。そうしたものを踏まえたうえで、あくまで調査研究の第一義的な目的は、鋳金作家としての香取秀真とし、それを活かして津田信夫との比較研究に寄与したい。津田信夫の作品にはフランソワ・ポンポンなどのフランス工芸との類縁性が見られ、またフランスからの立体造形分野での日本への影響という観点で言えば、ロダン、沼田一雅、セーブル磁器などの関係も重要である。二人をめぐる周辺状況としては、西洋と日本という単純な図式のみならず、西洋における芸術(彫刻)と工芸(金工)の対立と、日本における芸術(彫刻)と工芸(鋳金)の対立、が複雑に絡み合っており、また翻って、対立して見えるもの同士にも、同時代的な共通了解、共通の地盤があったはずである。比較研究、対立軸の研究がまた、かえって時代的共通性をあぶり出し、今日的な「美術」「工芸」に関する共通了解との差異が明らかになると良い。作品自体以前に、彫刻家が作るものが「芸術」「美術」としての彫刻作品であり、工芸家が作るものが「工芸」である、というような面ももちろん大きいのだが、そうした社会的な条件を踏まえたうえで、それでもやはり作品の造形的特質に「工芸性」といったものが見いだせるかどうか。そうした面を追求し、正統的な美術史を語る上での必要なささやかな迂回として、本研究が位置付けられれば幸いである。こうした問題を思考するうえで、例えば俳句と川柳の間の関係なども参考になる。無季俳句と川柳の間には、俳人が詠むから俳句であり、川柳家が詠めば川柳であるというような面があるものの、そうした状況下でそれぞれの文学的な特質からの峻別を探る研究が存在する。他にも幅広く理論的モデルを探り、「美術」と「工芸」の問題を、作品自体に即しながら理論的に整理したい。研 究 者:國學院大學 文学部 助教 橋 本 貴 朗世尊寺家は、三跡の一人に数えられる藤原行成を祖とし、室町時代後期の十七代・世尊寺行季まで、代々朝廷の書き役を務めた能書の家として知られる。しかし、従来― 65 ―㊸ 南北朝・室町時代における世尊寺家の書法継承─絵巻物・古筆切を中心として─
元のページ ../index.html#80