「高い玉座」という形式上の特徴がどのように伝播していくかを明らかにすることができる。さらに制作年代についても、多翼祭壇画が主流であった15世紀以前に広げることにより、多翼祭壇画から単一画面祭壇画への展開を分析することも可能になる。また今回対象とした《聖母子と聖人たち》以外の主題をもつ祭壇画も収集対象にすることにより、祭壇画の主題の変遷といった新たなテーマへと発展させていくことも視野に入れている。データベースの利点は、分析する観点を変えることにより、採集したデータから様々な成果を得られる点である。本研究においては、地域・時代を限定した祭壇画分析データベースを構築し、「玉座の高さ」という観点から分析を行うことにより、美術史学における統計学的分析手法の有効性を示し、今後の展開に資することを目指す。研 究 者:千葉大学大学院 人文社会科学研究科 博士後期課程「破来頓等絵巻」については、詞と絵のずれ、各段の繋がりが不明瞭なことが作品解釈を困難にしていたと言える。既述したように、山本泰一氏によって「破来頓等絵巻」では、特に詞書における時宗教義の引用が指摘されている。山本氏は、「破来頓等絵巻」を一遍の教義を広める目的をもって制作した「時衆教説絵」「名号往生絵」と位置付けた。しかしながら、「破来頓等絵巻」は、時宗絵画の文脈においてのみ、理解可能な作品であろうか。時宗はいわゆる鎌倉新仏教の中では最も後発の勢力であり、祖師・一遍の示寂後、二祖・他阿真教によって実質的な教団の形成が成され、各地の有力者を取り込み急速に拡大した。彼らに対し、信仰のよりどころとして効果的に示されたのが、祖師・一遍や他阿真教自身のイメージであった。特に他阿真教については、時宗における祖師伝絵巻「遊行上人縁起絵」十巻の後半六巻の他阿伝の制作によって、「二祖」という時宗独特の位置付けが造形されたことが重要であったと拙稿で指摘した(「「遊行上人縁起絵」における時宗二祖・他阿真教像の成立をめぐる一考察」『美術史』170号、2011)。すなわち「遊行上人縁起絵」における他阿真教像は、「祖師・一遍の正統な後継者」と「教団の実質的組織者、指導者」という、二つの意味を有し、両者が接近、― 68 ― 中 村 ひ の㊻ 「破来頓等絵巻」研究 ─「時宗絵画」及び中世物語絵巻としての文脈から─
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