鹿島美術研究 年報第29号
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重なり合うことで、後に礼拝の為の肖像画へと展開していったと私は推定する。「破来頓等絵巻」三段の絵には、四段の詞書の内容と関わる断片的なイメージが挿入された結果、「阿弥陀仏と対面する僧形の人物」と、「浄土の景」という二つの表象が同一画面に併存している。その意味は、先行研究において重視されてこなかった。しかし、私は「浄土の景」「踏割蓮華に乗る僧形の人物」といった要素の組み合わせが、「遊行上人縁起絵」制作を経て成立する他阿真教の尊崇のイメージ、中でも礼拝を目的とする肖像画との間に、表現上の関連性を有しているのではないかと想定している。「破来頓等絵巻」三段に描かれる人物像は、不留坊の存在を時宗祖師と結びつける機能を果たし、四段詞書の要素を取り込んで描かれた可能性を既に指摘している(「「破来頓等絵巻」をよむ─「不留坊」発心と往生の表現─」『「もの」とイメージを介した文化伝播に関する研究─日本中世の文学・絵巻から─』平成19−21年度 科学研究費基盤研究■研究成果報告書、2010)。その一方で、「破来頓等絵巻」の受容は時宗内の限定的な層にとどまらず、本作に描かれるイメージは、ある一定の視覚的記号として、他の文脈においても使用可能なものであった。榊原悟氏は「住吉具慶研究ノート 延宝七年『元三大師縁起絵』制作をめぐって」(『古美術』73号、1985)の中で、住吉具慶による「元三大師縁起絵」五巻四段の「狂僧」の表現が、「破来頓等絵巻」一段の出家者の図像を引用していると指摘している。「破来頓等絵巻」は、時宗の外部においても読み解き得るものとされていたのであり、これは「破来頓等絵巻」が、より普遍的な、広く中世社会の中で醸成されたイメージを背景に持つことを示唆していよう。閉じた時宗内部の文脈において「破来頓等絵巻」のイメージが成立しているのではなく、時宗において発展した祖師のイメージが、より広範な中世の出家・遁世物語の型や、今は見失われている特定の物語絵画のイメージと重層化することで、「破来頓等絵巻」は構成されていると私は考える。例えば地獄絵の獄卒や来迎図、物語絵巻における「突発的に発心する男」などのイメージがそこに重ねられている可能性は高い。中世絵画の具体的な作品、図像との関連性を探求し、「破来頓等絵巻」を読み解く事で、時宗という特定の宗派、文脈によって培われたイメージと、より広い信仰をめぐるイメージとが交差する実相を浮かび上がらせることが本研究の目的である。― 69 ―

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