鹿島美術研究 年報第29号
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とができれば、今まで以上に平安時代から鎌倉時代の書写活動の実態が判明する可能性があり、新たな日本書道史上の視点から美術史研究の成果が生まれることが期待される。ここでは、活躍期を隔てる後京極良経(1169−1206)と藤原為家(1198−1275)が同一の歌仙絵の詞書の筆者に伝称されることや、両者が没して以降に制作時期をおく歌仙絵がある点に着目し、良経と為家を筆者と伝える古筆群の書風の関係を探るとともに、どのような範囲をもって展開されていたのかを、両者の真筆を交えつつ比較検討し、書風の特質を可能な限り明らかにしたい。この一連の作業を経て出来上がる指標は、実は歌仙絵の制作年を検討する上で重要な鍵となる可能性がある。真筆とされる作品のみでなく、より遺品の多い伝称筆者の作品を研究の対象の中心に取り上げることで、汎用性の高い資料として提示できるものと考える。研 究 者:二松学舎大学 文学部 非常勤講師  菊 池 淑 子石窟寺院は通常数個から数百もの洞窟群を擁するが、私の一連の研究は、個々の洞窟内部の各部位を個別に論ずるのではなく、個々の洞窟がそれぞれ一個のまとまりのある建造物であるとの視座に立った上で、洞窟全体の信仰内容・歴史・形質(造形上の特質)を論ずるものである。そして、考察対象として莫高窟第217窟を選び、最終的にはその造形の達成を詳述し、いかなる宗教空間として位置してきたかを明らかにするという構想をもつものである。この一連の研究のうち今回申請する研究は、同窟の誕生以来、今日まで経てきた歴史の各局面を解明するプロセスに相当する。私の研究は、主要な考察対象として特定の洞窟を選択しているが、一つの洞窟に内在する問題を通して考察がその外に広がっていく可能性をはらんでいる。たとえば洞窟の開削と改修の歴史に焦点を当てる今回の研究は唐前期の敦煌オアシスにおける氏族史と、五代における敦煌仏教教団の歴史の一端を解明することが期待され、中国西北部における地方史の解明に寄与する意義をもっている。さらに今回申請する研究を含めた一連の研究によって、建築という表象のあり方を実例に即して記述することができると期待される。歴史的建造物はその地に誕生して― 72 ―㊿ 敦煌莫高窟第217窟開削の改修をめぐる歴史─漢語史料から見た寄進者と改修者─

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