以来、さまざまな歴史的局面を経て今日に至っており、建造物そのものにそれらの痕跡がとどめられ、その状態で建造物は厳然とそこに存在していると考えられる。石窟寺院の洞窟とは一つのまとまりのある造形作品であり、かつ歴史的建造物であるということを言説化するのが、今回申請する研究を含めた一連の研究の構想である。研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程 林 久 美 子本課題の研究対象であるレイモン・ケクラン(Raymond Kœchlin 1860−1931)はその生年からも明らかなように、彼がコレクションを始めた頃には、すでに多くの大コレクターたちが存在した、いわば第二世代の日本美術コレクターといえる。彼自身が著書で告白しているように、ジークフリート・ビングによって国立美術学校で開かれた1890年の大規模な浮世絵版画展で、初めて日本美術に魅了されたというのだから、相当に遅いスタートである。そのせいもあってか、ケクランに関する先行研究はほとんど皆無であるが、本研究では、彼が「狭義の」ジャポニスムブームも終息しかけた頃に、コレクターとして活動し始めたという点にこそ、大きな意味があると考えている。20世紀以降においても、浮世絵を中心とした日本美術に関心を持ち続け、第一世代のコレクターたちの売立て目録の序文なども多く記しているケクランは、ポストジャポニスム時代を語る上で、欠かせない存在なのである。また、ルーヴル友の会やパリ日仏協会などの公的組織においても、中心的役割を果たしていたケクランの活動に着目することによって、当時の日本美術受容の全体像を把握することが可能になるだろう。まず、先行研究のほとんどないケクラン自身について、彼の経歴や事績を詳細に把握する必要があると考える。美術行政との関わり、イスラム美術やゴシック美術との関わりについての研究は見られるものの、フランスにおいても日本美術との関わりについては研究が進んでいないため、この部分の整理、調査を行う。また著作では、特に『極東美術の老愛好家の回想(Souvenir d’un vieil amateur d’art de l’Extrême-Orient)』に着目する。コレクター、美術商、学芸員などを網羅し、コレクターの収集方針、ジャポニザンサークルの様子といった貴重な証言ばかりの本書を分析することによっ― 73 ―■ 20世紀初頭のフランスにおける日本美術受容─レイモン・ケクラン(Raymond Kœchlin 1860−1931)を中心に─
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