鹿島美術研究 年報第30号
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作品の比較などから、改めて日本美術史における池田孤邨の位置づけを行い、さらには、当時の「琳派」がどういうものであったのか、孤邨を一例として、当時の琳派観と受容といった問題についても検討することを目的としたい。これまで、江戸琳派で括られる作家や作品に関して、多くの研究者によって多角的な視点から研究が行われてきた。また、幕末から明治の江戸琳派に関する展覧会として、2002年に石橋美術館で「芳中・其一・孤邨─江戸時代後期の琳派」展、2011年に足立区立郷土博物館で「千住の琳派─村越其栄・向栄父子の画業─」展といったものが開催されており、特に2011年に千葉市美術館などで開催された「酒井抱一と江戸琳派の全貌」においては、孤邨の作品も10点ほどが展示、紹介された。近年、抱一没後の江戸琳派にも焦点が当てられてきており、関心が高まっている分野である。これまで具体的に論じられてこなかった池田孤邨、そしてその作品について研究することは、単に孤邨の伝記や画業、そして画風展開を明確にするだけにとどまらない。晩年には、抱一の『光琳百図』に倣った『光琳新撰百図』、また、抱一の作品集である『抱一上人真蹟鏡』を刊行するなど、孤邨は自覚を持って「琳派」を継承している。孤邨の具体的な画業や画風展開が明らかになれば、幕末の江戸琳派の在り方とともに、彼から見た「琳派」が見えてくるのではないだろうか。抱一没後、江戸から明治へと社会がめまぐるしく変化している中で、孤邨らが受け継いだ「琳派」とはどういうものだったのか。2004年に東京国立近代美術館で開催された「琳派 RIMPA」展は、近代や現代、さらには海外の作家を含めた新たな解釈の「琳派」が紹介され、「琳派」の概念に疑問を投げかけたものとなった。「琳派」をとりまく言葉や概念、価値観の変遷は、これまでに数多く指摘されてきているが、そういった問題についても作品を通じて、具体的に考える必要がある。「琳派」に対する孤邨の意識的な顕彰とその画業活動による継承は、彼の琳派観を表すと同時に、当時の「琳派」の受容の在り方の一つを示すものであろう。さらに、当時の琳派観や、「琳派」の受容の問題は、「琳派」という一つの流派の問題に終始するだけではないように思う。例えば、横山大観や下村観山ら院展の作家たちが「琳派」の作品に学び、影響を受けていることはこれまでの研究で明らかであるが、こういった場合の「琳派」に関しても、新たな視座を加えることができるのではないだろうか。池田孤邨をはじめ、幕末から明治期の江戸琳派について解き明かすことは、単に「琳派」の問題だけではなく、流派や時代の枠をこえて幅広く展開してい

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