鹿島美術研究 年報第30号
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くものだと考えている。研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 助手  橋 本 寛 子本研究は、円山応挙(1733−95)の洋風画学習を考察することによって、日本近世の上方の洋風画受容を明らかにすることが目的である。そして、本研究の成果によって、これまで研究者が取り組んできた日本近世後期の代表的な洋風画家・司馬江漢(1747−1818)の作品研究との関連性についても、今後発展させることができると考えられる。応挙の洋風画学習に関する分析で注目する主題は、眼鏡絵と人物図であり、その手順については、以下のとおりである。① 応挙の眼鏡絵と風景図についてまず、1つ目は、応挙青年期に制作した眼鏡絵の考察であり、現在真筆として認識されている作品を中心に分析し、上方での洋風画の受容と流通について考察したい。応挙の眼鏡絵研究については、円山派の系譜に位置する近代日本画家・久保田米僊(1852−1906)による1899年「円山応挙の眼鏡絵」(『骨董協会雑誌』第4号)をはじめ、1924年に黒田源次氏による『西洋の影響を受けたる日本画』、1936年の外山卯三郎氏による『応挙洋風画集』、1992年の岡泰正氏の『めがね絵新考』等によって進められてきた。また、その後の応挙の風景画に洋風表現を見る研究としては、1991年に成瀬不二雄氏による「円山応挙筆東山三絶図」(『大和文華』第85号)、また1994年同氏による「円山応挙論─特に西洋画法との関係について─」(『論集日本の洋学』二)などで既に考察が試みられているが、眼鏡絵は秋田蘭画家の小田野直武(1750−80)や司馬江漢等一連の洋風画家が制作していることから、その後の風景図制作との関連性について考察したい。② 蘭学と応挙の人物表現についてそして2つ目に、蘭学に影響を受けたと考えられる応挙の人物画について注目したい。応挙は明和7年(1770)に《人物正写惣本》をはじめ、日本美術史上重要な等身大裸体画を制作している。また、応挙研究の一次資料である『萬誌』に応挙は「人物ヲ画ニ先骨法ヲ定、次ニ衣装ヲ付ヘシ」と述べたとあるとおり、人物を描く際はまず裸㊼ 円山応挙の洋風画学習について

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