ては論じられていない。また、禅宗寺院の復興運動が絵師の制作活動に与えた影響は、近世絵画史研究においてもあまり注目されて来なかった観点であり、十八世紀の京都画壇に与えた禅宗寺院の影響についても踏み込んだ調査研究を行う必要があると考える。そこで本研究では、禅宗寺院の活動が絵師の制作活動にどのように影響を与え、関わっていたのか、若冲と同時期の十八世紀における京都禅宗寺院と絵師の関係性について考察・研究することを主たる研究課題と位置づけたい。これらを解明するにあたって、とくに伊藤若冲筆「髑髏図」(一幅・絹本着色・台東区有形文化財)と、それに関連する作品に注目して調査研究を行うこととする。東京・谷中の臨江寺が所蔵する「髑髏図」は、比較的早い時期に制作されたとみられる禅僧の賛を伴った近年新出の若冲作品である。二体の髑髏が写実的に描かれ、禅の教えを示す教導的な絵画といえるが、賛者は大典ではなく天龍寺の僧・桂洲道倫であり、作品が伝来した臨江寺は京都・大徳寺の末寺である。また類似の作例である若冲の版画作品「髑髏図」(滋賀・西円寺、京都・宝蔵寺所蔵)には、売茶翁による賛が付されている。このように若冲の絵画には、大典以外の禅僧によって着賛され、禅の教えを示した絵画が存在すること、しかも所蔵先がいずれも禅宗寺院であることは、非常に興味深い。また、若冲と同時期に活躍した絵師による「髑髏」(骸骨)を描いた作例に、円山応挙筆「波上白骨座禅図」(大乗寺蔵)や長澤芦雪筆「幽霊・髑髏子犬・白蔵主図」(藤田美術館)等があることも看過できない。本研究は、若冲の「髑髏図」に注目して、若冲の独創的な画風・様式が形成される過程において、禅僧・禅宗寺院がいかに関わり、作品に影響を与えていたのか考察し、さらに同時期の絵師による同じモチーフが描かれた作例や、当時の文化史や宗教的背景等にも広く目を向け、巨視的な観点から十八世紀京都における禅宗寺院の動向がもたらした芸術への影響に関して解明を行うものである。以上のように、本研究は、若冲の初期作品研究を端緒とし、十八世紀の京都禅宗寺院及び禅僧の活動が与えた絵師や作品への影響について検討することを最終的な目的とする。作品調査は、若冲の臨江寺蔵「髑髏図」および版画の「髑髏図」、また同時代の京都の絵師作品の調査も行いたい。また、十八世紀京都における禅宗寺院と絵師の関係性を解明するために、実際に京都において史料調査を行いたい。寺院や絵師の動向を示す文献収集のためには、京都の寺院や資料館等における調査が必須であるからである。以上の調査研究を通して、禅僧や禅宗寺院との関わりが、若冲やその画風
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