鹿島美術研究 年報第30号
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した8ミリおよび16ミリフィルムの映像を調査した最初の報告である。芦屋市立美術博物館に80本余りが寄託されてきたが、現在では映写がむずかしい記録媒体であったためか、そのままにされてきた貴重な資料である。加藤氏はとくに注目すべき〈cine-memo〉に焦点を合わせ、その分析を通して、絵画作品と呼応する吉原の造形的関心を明らかにしたのである。吉原が絵画制作に際して写真を利用したことは周知の事実である。しかし映像の方が、写真以上にたやすく非現実的なヴィジョンを創り出すことができるメディアだという指摘は、きわめて示唆的であった。以上、調査と分析の初発性・独創性こそ、第19回鹿島美術財団賞に次ぐ優秀者に選ばれた所以である。                     (文責 河野元昭委員)《西洋美術部門》財団賞 深田麻里亜「ヴィッラ・マダマ、左廊ヴォールトの《ネプトゥヌス》優秀者 平泉 千枝「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「夜の絵画」についてこれに対し、別荘の壁画装飾については、主にラファエッロ死後の工房制作ということもあってか、著名なラファエッロ研究者たちによってもほとんど顧みられなかった。深田麻里亜氏はその壁画装飾の研究に取り組み、これまで学界にいくつもの新知1967年に同別荘について詳述するラファエッロ書簡が発見されて以降、専ら別荘の建築面での研究が行なわれ、当初は古代ローマの小プリニウスのラウレンティヌム別荘などに比肩するプランと規模で計画され、北からローマに入城する王侯・貴顕のための迎賓館の機能を帯びていたことが明らかにされた。─「クオス・エゴ」と教皇レオ10世称揚の図像─」─そのテネブリスムの意味─」現在イタリア外務省の迎賓館として使用されている盛期ルネサンスの郊外別荘、ヴィッラ・マダマは、ローマを一望できるモンテ・マリオの丘の北東斜面にある。メディチ家出身の教皇レオ10世時代に、その従兄弟ジュリオ・デ・メディチ(のちの教皇クレメンス7世)がレオ10世の命を受けて注文し、ラファエッロが構想・設計を開始、1520年のラファエッロの死後、その造営はラファエッロの弟子たちに引き継がれ、1527年の歴史的事件「ローマの劫略」後に北西側の一部が建設された段階で中断された。

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