2.ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「夜の絵画」について ―そのテネブリスムの意味― 発表者:ふくやま美術館 学芸員 平 泉 千 枝的な像を得る源として活用されたのである。映像に関しても基本的に同様と思われるが、見過ごせないのは、映像の方が編集という作業によって、写真以上にたやすく非現実的なヴィジョンを創造し、提示するメディアになり得る点である。写真・映像を多数撮影していた1930年代初頭は、1928年の初個展以後、1934年の第21回二科展に初出品作5点が入選するまで、公にいっさい作品を発表しなかった時期に当たり、吉原の画業全体を見渡しても、終戦前後と並ぶ長い沈静期間であった。1929年に藤田嗣治から「他人の影響がありすぎる」点を指摘された当時の吉原にとって、1928年前後の再現的な作品群の前提となっていた「現実」をいかに切断し、そこからいかに跳躍するかが、差し迫った課題として認識されていたにちがいない。その中で、光学機器を介して得られるヴィジョン、言い換えれば現実空間の変容によって得られる新しい視覚は、吉原が1930年代半ば以降、シュルレアリスム的表現や純粋抽象の作品を実現する上で重要な契機の一つになったと考えられる。本発表ではここに焦点を当て、まずロレーヌ地方への跣足カルメル会の進出と、神17世紀にフランス北東部、当時のロレーヌ公国で活動したジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour:1593−1652)は、「夜の絵画に秀でた画家」として、郷里の記憶にとどめられてきた。画家は深い闇に包まれた宗教的主題を繰返し描いたが、これは様式的には、先行するイタリアのカラヴァッジョやその追随者オランダのホントホルストなど、カラヴァッジェスキの画家たちの明暗画法の影響によるものと考えられている。だが画家はその流行が終息して後にも「夜の絵画」を生み出し続け、画家のこだわったテネブリスム(暗闇主義)の表現に、カトリック改革期の神秘思想家、スペインの跣足カルメル会修道士の十字架のヨハネ(Juan de la Cruz:1542−1591)の「暗夜」の思想の影響など、意味性や思想性を探る試みもなされてきた。しかしこれらはあくまでも示唆にとどまり、具体的に例証されたわけではなかった。
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