鹿島美術研究 年報第30号
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で、ナンシー市の美術関係者(特に現美術学校校長や美術館学芸員)からはこれらのコレクションの再評価としての詳細な研究が強く望まれている。このような状況下で、本研究の最終的な目標を具体的に二つ挙げることができる。第一は、私自身のエコール・デュ・ルーヴル最終課程論文(日本の博士論文レベルに相当)「ナンシー・ジャポニスム(仮題)」の中核となる研究内容であること。本論文は、ナンシー市現所蔵の全ての日本美術コレクション(上記二つのコレクションの他にもナンシー市立図書館、ロレーヌ美術館、ナンシー派美術館などに日本美術コレクションが存在する)の総カタログの作成とそれぞれのコレクションがナンシー派の芸術の発展にいかに寄与し、またどのような歴史的コンテクストの中で形成され、受容されたのかを分析する内容である。第二に、ジャポニスムをテーマとした企画展をナンシー市全体の文化事業として複数の文化機関が関心を抱いており、本研究がこのプロジェクトの原動力になりうるということである。最終的な目標としては、展覧会という形でナンシーの芸術関係者のみでなくナンシー市民にも広くこれらのコレクションの重要性を知ってもらうきっかけになればと考えている。研 究 者:京都府 文化財保護技師  中 野 慎 之近代日本画成立を用意した土台は、「自派逸脱・流派越境」(画派の無意味化)と「新しい視覚」(絵画表現および科学的関心における西洋受容)であったと論じられている(古田亮「近代日本画の成立 脱狩野派の諸相」『国華』1370、2009)。また、「日本画」という呼称が端的に示すように、「日本(東洋)美術の伝統性」を表現する方針は、形を変えながらも持続した日本画の規範であった。多くの画家は、修学した画派に立脚しながら、横断的な古画学習や西洋文化受容を進め、近代に新たに用意された展覧会や研究団体を舞台に自らの表現の新機軸を提示した。こうした場で認められ、声望を高めた画家は、パトロンを獲得し、重要な制作を任され、同時代を代表する芸術家となった。研究者は、近代の日本画の展開、特に画派の無意味化(折衷主義)と新秩序への移行、および絵画学習(古画および西洋受容)の諸相を研究の主軸としている。表現・絵画観・社会的変動(画壇の世代交代や文化状況の変化)の把握や、各期・各作家の② 新南画の成立と展開に関する研究

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