制作・動向の実態を描きだすことによって日本画の展開の再論を試み、近代美術の転換を総括する研究を行うことを企図している。本研究は中でも主要な位置を占めるものである。新南画は、明治末に展開された「脱筆線」・「非写実」・「装飾性」への志向と、大正後期に展開された「東洋回帰」・「古典主義」の狭間に位置する潮流であった。具体的に例を挙げれば、「朦朧体」と批判された横山大観・菱田春草らによる無線描法や、多くの画家が採用した琳派表現に代表される装飾的傾向が明治末に展開された。一方、大正後期には、速水御舟・岸田劉生らが示した写実主義や、小林古径・安田靫彦・前田青邨らによる線描を主体とした「新古典主義」、土田麦僊・小野竹喬らの東洋回帰などが展開された。これらが同時代の絵画表現の全体像ではないにせよ、巨視的な観点から見れば、絵画表現における画期的動向であったことは間違いない。新南画の起点となった今村紫紅が示したのは、点描画法・濃彩による色面の多用・装飾的構図・非写実的傾向といった特徴を有する表現であった。また、新南画は日本画家とともに、洋画家にも共有された潮流であり、当時の青年画家が志向した、西洋由来の脱写実的傾向の持つ「芸術性」を、南画という「東洋画の伝統」に「発見」するという文脈を有している。仮説的段階ではあるものの、新南画が明治末と大正後期の上記のような傾向をつなぐ動向であることは十分に想定されることであり、近代日本画の通史的理解の上でも不可欠な主題であることは疑いない。上記の観点に立てば、本研究が提示する議論や新知見は、近代美術研究に資する点も多いと思われる。本研究の構想は主に三点である。①今村紫紅の南画学習の実態を明らかにすること(池大雅に代表される近世の南画、明末清初の絵画を学習したことは想定される)。②今村紫紅の南画学習の契機となった富岡鉄斎を、新南画研究に位置づけること。③漠然と新南画の先駆者と位置付けられている今村紫紅の画業を、一定の裏付けを有する論証を通し、新南画研究に改めて位置づけること。上記の議論を通し、明治期南画の展開、「山水」から「風景画」への移行、近代日本の芸術家概念、日本画における東洋と西洋の問題など、近代美術史の重要な課題に新たな視座を示すこともまた、本研究の主たる目的である。
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