鹿島美術研究 年報第30号
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にどのように、またどの程度伝わっていったのか、また、同じように其一の門弟たちには、其一の画風や画題モチーフがどのように、どの程度受け継がれていったのか、抱一的な要素はどの程度見られるのかなど、課題が波及していく。本研究では画風確立期の研究を中心に進め、その後も引き続き長期的に広い視点で研究を行っていく予定である。本研究は鈴木其一という一人の絵師の作品を切り口として、江戸期における流派間の交流・影響関係、絵師と受容層の関係、一つの流派における画風の伝承と個々の絵師のオリジナリティという美術史研究における普遍的なテーマを備えた研究であり、一つの事例として美術史学に貢献できるものと自負している。研 究 者:オレゴン大学 美術史建築史学科 助教授  ウォーリー 朗子本研究は、東アジアにおける舍利信仰のあり方を七・八世紀の「入れ子型」舍利容器の作例から再検討するものである。これまでの研究を通し、舍利容器のかたちの変遷とその意義が検討され、東アジアの舍利容器は、経典に伝える釈迦の納棺方法に則ったインド以来の「入れ子」形式を基本とし、その中で地域や時代によって独自性があることが明らかにされた。しかし、中国独特の「舍利八分」図の考察、釈迦の涅槃(あるいは死)と関連する図様の解釈、「摩尼宝珠」文様の位置づけなど、個々のモチーフに関する示唆に富む考察が発表される中で、舍利容器の荘厳を包括的に考察した論考は決して多くはない。本研究でまず重要と考えるのは、舍利荘厳に関する考察でしばしば目にする「舍利容器は仏舎利を保護するものである」という従来の概念の再検討である。「仏舎利」とは、仏教の祖師である釈迦の遺骨(あるいはその象徴)であり、厚く供養し、後世に残すべく「保護」をすることで功徳を積むことができると考えられていた。その意味で、舍利容器がこの仏舎利を「保護」する役割を担っていたことは確かである。しかし、『大智度論』や『悲華経』の教説、『集神州三宝感通録』の記事などから明らかなように、「仏舎利」とは一所にじっと留まる存在では決してなかった。「真身」の舍利は自らの意志で供養者のものに現れ、鎚で打っても壊れず、水に入れれば自在に浮き沈みをする存在であり、また舎利は宝珠に変化し、衆生を救済する存在でもあった。④ 七・八世紀の「入れ子型」舍利容器の空間構成

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