部は、抽象表現主義以降、指標とされてきた絵画の開放性について、ひとつの回答を示している点において示唆に富んでいる。ロスコは、この矩形をモティーフにしながら、それを画面内に反復して配置し、あるいは周囲に枠を施すことで、その画面構成を追究してきた。このように「カラー・フィールド」と評されたロスコの絵画において、色彩と筆触のみならず、構図が重要な役割を担っていたことを検証し、ロスコ作品の新たな解釈を試みる。具体的には、構図に着目して、ニューマンとスティルの代表的様式とロスコ様式を比較検討し、ロスコの独自性を分析する。また、ロスコの作品において具象絵画の時代より主要なモティーフとされてきた矩形を取り上げ、「地と図」の関係を分析することで、ポスト抽象表現主義とされながらも、ロスコとの直接的な関係が指摘されてこなかった「カラー・フィールド・ペインティング」に与えた影響を解明する。その特質が、「カラー・フィールド・ペインティング」の特徴とされる、「ステイング」「ポーリング」といった作家の行為、「地と図」の関係、「ハード・エッジ」の筆触といった多様な表現にいかに接続されているのかを考察する。その成果は、ロスコの新たな「カラー・フィールド」としての絵画を提示するだけでなく、抽象表現主義と「カラー・フィールド・ペインティング」との受容関係を問い直す一助となるだろう。研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期 柴 橋 大 典狩野探幽の創始した淡彩や余白を特徴とする「新やまと絵」様式は、どのような形であれ、その後の近世絵画のあらゆる流派が意識せざるを得ないものであった。そのため「新やまと絵」の意味を問う事は、近世絵画を語る上で最も基礎となる部分を構築することになると言えるだろう。それに対して「新やまと絵」様式の意義について、これまでの研究史の見解を振り返ると、当世的解釈を経た漢画の和様化、あるいは和漢融合の極致と位置づけられ、その影響力に関しては、徳川幕府の御用絵師という立場から、幕府権力やそれを背景とした組織力を中心として捉えられることが多い。このような視点に基づく近年の成果として、松島仁氏によって探幽による「新やまと絵」様式の創始は徳川将軍権力に⑨ 狩野探幽「新やまと絵」様式における「同時代的視覚」の問題
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