鹿島美術研究 年報第30号
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よる王朝絵画の獲得であり、同時代的な視覚を通した古典の復興とする意見が出されている。しかしいずれも「当世的」「同時代的な視覚」に言及しながら、その具体的な意味内容について十分に把握されてきたとは言い難く、それらが明らかにならない限り、探幽を相対化した位置で理解したことにはならず、政治的文脈に還元することもできないと思われる。そこで本研究の目的はこの「同時代的な視覚」、すなわち当時の思想基盤に基づき広く共有されたものの見方と探幽の「新やまと絵」様式の関係を明らかにし、それが享受される場や文脈で発する意味・効果・機能について問い直す事にある。研究者はこれまでに近世堂上歌壇における「新やまと絵」様式の評価について、それが詠歌対象の存在原理とされた諸法実相の理を表出する「幽玄」と関係し、本覚思想に基づいた中世歌論と連続性のある美意識によるものとする見解に至った。このように近世初期において本覚思想が一定の価値観を形成していたのは、仮名草子において「煩悩即菩提」が頻出する事と軌を一にし、さらには「東照社縁起」で語られる徳川家康神格化と幕府の政治思想の根底を本覚思想が支えている事にも通じる同時代的現象だと思われる。このように見ると仏教的世界観が思想基盤として政治から民衆の思考までも規定していた点で、探幽絵画の構成原理や影響力もそこに帰属させて捉えるべきものがあると考えられる。そこでまずは「東照社縁起」など思想的背景が明らかなものを取り上げ、中世絵画の作例と製作背景なども含めた比較検討を行う。「東照社縁起」における中世寺社縁起の引用はこれまでも度々論じられてきたが、そうであればこそ、その継承と変容を改めて精査することで、その画面構成に込められた宗教的意義を抽出できると思われる。次いでそれが「新やまと絵」様式の作品に底通するものか、同一主題を持つ他流派作例との比較によって探幽が取捨した要素を洗い出し、それが主題の意味や受容される場とどう関係するかという点から検証する。いずれの場合も画面構成の前提となる詞書などの文献史料の精読が重要になると思われる。これらの調査研究によって探幽の絵画を、近世を形作っていた大きな思想基盤に基づく同時代的現象の一つとして理解する視点を提示し、「新やまと絵」様式の与えた影響力の構造を解明できると考えている。

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