鹿島美術研究 年報第30号
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本調査では、こうした出雲焼についての文献、また実際の作品を調査することによって、明治期の出雲の輸出陶器の全体像を把握する。また当時の京都、そしてアメリカのルックウッド・ポタリーとは、どのような交流があったのか具体的に明らかにしたい。特にルックウッド・ポタリーは、国際的にも高い評価を受けていたアメリカの代表的なジャポニスム陶磁器の製陶所だが、その創立時には、出雲焼が影響を与えていたことも文献によって知られており、詳しい調査を行いたい。特に、ルックウッド・ポタリーの設立と深い関係にあるシンシナティ美術館には、この製陶所の作品が多数収蔵されており、またルックウッド・ポタリーが所蔵していたエドワード・モースの日本陶磁器のコレクションも寄託されていたことが知られているため、調査による成果が期待できる。現在島根県で所蔵する出雲焼の輸出陶器の多くが海外からの里帰り品であり、アメリカは出雲焼輸出の最大の相手国のひとつである。アメリカで今も残る当時の出雲焼を調査することは、輸出を目的に作られたため日本国内にはほとんど残っていない明治期の出雲焼のさらに多くの作例を知る重要な機会になると考えられる。こうした調査研究により、地方の窯業地のひとつであった出雲の焼物がどのように近代化を推進し、輸出陶器として成功したかを明らかにすることは、日本各地の地方の窯による輸出陶器の生産が盛んだった当時の日本の窯業全体を知る一助となるだろう。またその後に大きく変化した出雲焼自体のあり方、そして工芸界全体の状況の推移や、民藝運動の展開、バウハウスに代表されるモダンデザインの運動のために、現在では顧みられる機会の少ない、こうした近代化、西洋化に舵をきった近代日本の初期のデザインの歴史を、振り返るきっかけとなることを期待する。研 究 者:新渡戸文化短期大学 生活学科 教授  岩 切 信一郎世界に知られた日本の伝統木版画は、画家(版下画制作)・彫師・摺師・板元のコラボレーション(協業)で完成する。その最も肝心なところが、伝統(伝承)木版技術(手技)の発揮である。ところが版下絵を描いた画家(版画家)だけが知られ、それを支えた職人達の功績が、評価されないのはどういうことだろう。海外から、日本版画(錦絵を含む)に関心をよせる人々は多い、しかもこうした職人達の存在に大変⑮ 日本近代の木版彫師・摺師にかんする基礎調査研究

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