鹿島美術研究 年報第30号
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  Milosz Ryszard Woznyことがなくなっても、明治後期には下村観山《小倉山》(明治42年)のように歌仙の姿を媒介として特定の古歌の表象であることを示したり、今村紫紅《宇津の山路》(明治45年)のように古典文学のイメージを投影したりした作品が発表されている。これらの作品は、近代日本画におけるいわゆる琳派受容の初期の例とみなされうるものであり、それらは琳派の構図や色彩といった造形上の面のみならず文学的性格をも引き継いでいると考えられる。また『明星』等の文芸雑誌の登場や挿絵入りの詩文書の出版は、画家に同時代の詩歌や小説と協同する新たな場所を与えた。本研究はこの絵画と詩歌をめぐる関係の変化を作品・文献の両面から検討する。それにより、幕末明治の転換期に近世の書画が解体され、近代の絵画と文学として再編成されていった様を、新たな角度から跡づけることが可能になるだろう。またその成果は対象となる画家や作品の個別研究に寄与し、明治期の琳派受容といった日本美術史研究上の問題について新しい視点を提供できると期待される。これはイメージとテキストという美術史上の大問題のみならず、近世と近代の連続と不連続を考える上でも意義あるものである。研 究 者:慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程蕭白画の強烈な個性は、本年度開催の千葉市立美術館の「蕭白ショック!! ─曾我蕭白と京の画家たち─」や東京国立博物館の「ボストン美術館─日本美術の至宝─」によって改めて強調され、その魅力が研究者のみならず多くの美術ファンの注目を集めている。ただし、蕭白は単に強烈なスタイルによって鑑賞者を圧倒させるのみならず、たとえば自らの作品中で様々な題材を意味ありげに重ね合わせるなどして、鑑賞者の知的好奇心にも強くアピールする傾向のあることが、拙修士論文を含む先行研究によって明らかになりつつある。そのため、「奇矯」や「皮肉」といった言葉で説明されがちの多くの蕭白画には、蕭白が熟考した複雑な含意が隠れていると、私は確信している。つまり、それらの意味を深く理解しながら彼の作品を鑑賞することこそが、蕭白画の醍醐味であると主張したい。蕭白による「雪山童子図」も、未だ解釈の余地を残す難解な題材を取り上げた事例⑱ 曾我蕭白画の題材解釈に関する研究 ─「雪山童子図」を中心に─

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