の禅僧の交流のなかで、我が国にもたらされ、以後の日本に大きな影響を与えたと言われている。事実、現存の張即之の書のうち、数々の優品が日本に伝来している。この張即之の作品や人物像に関する先行研究では、中田勇次郎氏『書道藝術 第7巻 張即之・趙孟頫』(中央公論社、1976年)が体系的かつ先駆的な存在であるが、近年は傅申氏や陳根民氏などの中国の研究者により進展を見ている。一方、張即之の書の日本における受容に関しては、小松茂美氏(『日本書流全史(上)』講談社、1970年)や春名好重氏(「張即之の尊重」『書論』第35号、2006年)の文献史料に基づく研究によって、張即之の書が日本で珍重されてきた歴史が明らかにされている。また、角井博氏(「日本における「張楷」の受容について」『ふくやま美術館研究紀要』第5号、2011年)は、現存の張即之作品を多数取り上げつつ、日本における受容史に言及したものとして注目される。しかし、張即之の書が日本に大きな影響を与えてきたと言われながらも、先行研究はわずかであり、今後更なる研究により受容の具体的な実態を明らかにすることが期待される。そのような中で、これまで研究者によって見過ごされてきた張即之の作品群が、桃山時代頃より盛んに製作された「手鑑」の中に存在する。「手鑑」は、歴史上の人物の書の数々を貼り込んだアルバムのようなものだが、とりわけ完備された「手鑑」には、日本人の書に加えて、数葉の中国人の書が収められることが多い。その中で、最も多く取り上げられるのが、張即之の書である。「手鑑」に収められた張即之の書は、「手鑑」の編纂基準や大きさ等にあわせ適宜切断されているため、漢字1〜4字ほどの断簡となっている。その断簡が、各地に散在する「手鑑」にバラバラに収められている。そこで、私は、この「手鑑」に収められた張即之の書を中心に、断簡となって散在している張即之の書を収集し、その出自を明らかにし、個々の断簡の相関性を見極め、その上で、作品の本来の姿の想定を試みたいと考えている。これにより、かつて日本に伝来した張即之作品の全体像を把握することを目的としている。これまで手掛けられていないテーマだけに、この研究が進展すれば、文献史料や「手鑑」所収以外の現存作品に基づく先行研究では知られることのなかった張即之作品の存在を明らかにし、張即之の日本における受容史の理解を一歩進めることができると考えている。また、中国をはじめ諸外国に現存する張即之の作品数も多くはないだけに、新たな張即之作品とその本来の姿を明らかにすることができれば、張即之そのものの研究の進展
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