鹿島美術研究 年報第30号
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にもつながるものと考えている。近年の張即之の研究は、中国の研究者により進展を見てきたが、日本での受容史や、「手鑑」所収の張即之の書の断簡に関する研究は、日本書道史を理解した者こそが行い得るテーマであり、私自ら積極的に取り組んでいきたいと考えている。研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士後期課程本研究は、ドイツの芸術運動の影響下にあった日本のモダニストが、1930年代に展示空間をデザインすることに関心を向け、その技術を高めていった過程を明らかにするものである。とりわけ、彼らにドイツの実例を紹介し、帰国後は自ら展示デザインを手がけた蔵田周忠の活動に光をあて、その役割と意義について考察する。デザイン・グループ「形而工房」の一員としての活動や、建築家および建築評論家としての蔵田を論じた先行研究はすでにあるのだが、とりわけ展示デザインという視点を設定するならば、彼の幅広い視野や多層的な活動範囲を十分に考慮する必要がある。たとえば蔵田の滞欧記『欧州都市の近代相』(六文館、1932年)や『近代的角度』(信友堂、1933年)を繙いてみれば、その脱領域的で全体性を重視した洞察力は際立っている。建築や家具だけでなく、映画や写真、航空機や鉄道などの移動手段、スポーツや散歩といった近代的事物について、自身で存分に楽しみながら綴り、光や音、動きと空間といった要素が生む複合的な効果を、柔軟かつ分析的に捉えている。なかでも、展覧会の批評においては、作品とその見せ方の関係を注意深く見ており、鑑賞者の移りゆく目線に宿る期待や心地よさに配慮する必要性を繰り返し説いている。蔵田の数ある展評のなかで、最も影響力を発揮したのは、1931年のベルリンにおける「ドイツ建築展」と言える。バウハウスで建築や写真を学んでいた山脇巖を巻き込んで会場の隅々まで取材した蔵田は、雑誌『国際建築』で特集を組み、会場で目にした展示デザインを丁寧に解説した。これを機に山脇が展示による表現に取り組み、理論面からは美術批評家の板垣鷹穂も加わって、銀座紀伊國屋ギャラリー等における実験的な展示へと展開していった。蔵田を取り巻くネットワークには、デザイナーの原  江 口 みなみ㉒ 1930年代日本における展示デザインの意識と実践─蔵田周忠のドイツ滞在を中心に─

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