鹿島美術研究 年報第30号
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弘や写真誌『光画』に関係する写真家、建築家の川喜田煉七郎といった多彩な顔ぶれが揃っていたのである。したがって、蔵田の展示観が形成された過程を整理し、読み解くことは、近代美術展示史における転換期の一面を明らかにするだけではなく、日本のモダニズムにおける空間観の重要な変化を浮き彫りにする。すなわち、美術や建築、デザイン、写真という多領域の専門家が、それぞれの技術と知識をあつめて「新しい空間体験」を創る総合的なプロジェクトの実態を解明することにつながっている。近年、クロンクをはじめとする近現代展示史研究(cf. Charlotte Klonk, Spaces of Experiences: art gallery interiors from 1800 to 2000, Yale University Press, 2009)は、人々の日常生活における芸術の価値と展覧会に求められた役割の変遷をたどることで、「展示と社会」の歴史を読み解いている。モノや情報の国際的な移動と受容をあつかう本研究の成果は、こうしたプロジェクトにおける比較分析に大きく寄与することができる。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  佐 野 勝 也■藤田嗣治研究は2000年代になって新たな段階を迎えたといえる。特に、2002年秋に故藤田君代夫人の監修による藤田の全生涯の主要作品を網羅する『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』が刊行され、生誕120年の2006年には君代夫人の全面的な協力のもと藤田の全画業を概観する大回顧展が東京国立近代美術館ほか2会場で開催、これが大きな転機になった。その後毎年、藤田関連の美術展が開催され、藤田研究はその独自の絵画技法をはじめ、絵画スタイルを変遷させた各時期における具体的な作品研究等々の本格的な研究段階に進んでいる。2009年4月、藤田の著作権継承者であった君代夫人が98歳で亡くなり、夫人の遺言によりフランスで子供の福祉に携わってきたオートゥイユ財団へその著作権が寄贈された。藤田の著作権問題がこのように帰着して今後の藤田の学術的研究の更なる進展への環境が整えられたといえよう。◆本研究で取り上げる藤田のギリシア舞踊習得の重要な分析資料となる書簡であるが、藤田嗣治が渡仏した1913年の前年の1912年に結婚した鴇田とみ宛の藤田直筆の書簡179通及び㉓ 藤田嗣治 初期絵画制作におけるギリシア舞踊習得の影響─藤田留学、妻とみ宛て書簡資料を手がかりに─

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