南ガリア地方に数多く残される異教墓碑タイプの石造遺物は、クリスモンや植物模様の浮き彫りなどの特徴的な装飾が施され、祭祀空間の聖遺物の安置・展示に直接結びついたモニュメントであると推定されるが、その設置場所や機能について不明確なことが多い。北アフリカやシリアでは、殉教者崇敬のための特別な空間が教会の中に設置されているが、南ガリアにおいて同様の空間設備を仮定することは、残存する遺構例が乏しいゆえ、実証は現在のところ不可能である。こうした中、ナルボンヌの「聖墳墓のメモリア」は非常に特殊な作例といえる。柱廊玄関部分と多角錐屋根で覆われた主室部分から成る建築構造体を象るモノリスの大理石彫刻は、台座部分の外側周辺に等間隔に小さな穴が開けられている。この細部は、このモニュメントには布や花綱などの飾りが取り付けられていたことを推察させ、この彫刻がサンクチュアリの目立つ場所に独立して設置され、祭壇とは別の崇敬の対象となっていたことが示唆される。また、イェルサレムの聖墳墓はもともとは岩掘墓であり、キリストの遺体が置かれた岩の台が構造体内部に残されるが、ナルボンヌの「メモリア」の多角錐屋根に覆われた主室内にも台形の台が彫り残されている。多角錐屋根に覆われた主室部分には玄関部分から通じる「入り口」が設けられているが、その開口部とは別に、背後にも小さな矩形の開口部が設けられ、その「敷居」部分に、液体を外側に排出させるためと推察される小さな溝が彫られている。このことから、液体を「建物」内部に注ぎ入れエウロギアを回収するタイプの「聖遺物容器」であったことが仮定される。シリア・パレスティナなど東方に分布する、注ぎ入れた油を回収するタイプの聖遺物容器は、近年マルセイユの5世紀の教会遺構から発見されており、南ガリアと東方地域とのつながりについて、さらに研究を深める必要がある。このモノリスが聖遺物容器であったならば、中に収められた聖遺物はなんであったのか。聖地にまつわる聖遺物が収められていたとも考えられるが、全く空であった可能性もある。空であることがキリストの復活を示し、その勝利と栄光を象徴するからである。空である墓を集中式プランの天蓋が覆う、それは死者への崇敬を強調する古代からの伝統形式であり、キリスト教祭壇も天蓋ciboriumに覆われる。天蓋のミニチュアの制作例がいくつか知られるが、おそらく可動祭壇の制作と平行したものであったと推測される。ナルボンヌの「メモリア」についても、こうした同時代の象徴性のコンテクストの中で考察することも可能であろう。また、カロリング朝時代以降、"Visitatio Sepulcri" のような「演劇的」典礼において
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