聖墳墓の表象はトポス的かつ象徴的な役割を担うが、そうした後の時代での機能の比較は興味深いであろう。ナルボンヌの「メモリア」は、古代の伝統の継続の中で制作された作例であり、いったんその流れは途切れるのではないか、中世中期から後期での聖墳墓の表象の成立には、別のルートが推定できるのではないか、そうした仮説を現在のところ展望している。研 究 者:滋賀県立近代美術館 臨時職員(学芸員) 京都造形芸術大学、同志社大学 非常勤講師 中 野 志 保江戸時代後期において、江戸・上方の地で生産され、全国的に流通した「読本」という文芸ジャンルには、漢字仮名混じりの文章数葉ごとに、見開きの挿絵が挿入されている。この「読本」の挿絵は、江戸時代の代表的なメディアの一つであり、「浮世絵」と呼ばれるジャンルの一躍を担いながらも、今まで、あまり注目されてこなかった。「読本」自体の内容や体裁については、国文学の領域での厚い先行研究があり、挿絵制作をめぐる作家や絵師の関係についても論究されてきたが、当然ながら様式史的観点をもって読本挿絵を扱った研究はない。また、美術史の領域においても、読本の挿絵は、絵師の二次的、あるいは付随的な制作物と位置付けられ、研究が部分的なものに限定されてきた感がある。たとえば、江戸読本挿絵のパイオニアと言われた江戸の浮世絵師、■飾北斎については、『北斎読本挿絵集成』(全五巻、美術出版社、1971〜73年)が刊行されるなど、読本に焦点を絞った刊行物が出され、その魅力が紹介されているものの、その研究論文・書籍となると、一枚絵の作品に比べて量は少ない。読本挿絵の絵師として研究の対象とされるのは、ほぼ■飾北斎に限られていると言って良い。また、近年では、辻惟雄氏による『奇想の江戸挿絵』(集英社新書、2008年)が刊行され、江戸読本挿絵のドラマチックでユーモアと迫力にあふれた怪異表現の面白さが紹介されているが、江戸の、しかも怪異表現というところに限定された紹介である。読本とその挿絵は、上方でも多く制作されてきたものであるが、この上方読本挿絵の絵師について取り上げた研究は今までになく、また、江戸には北斎以外の絵師も読㉕ 読本挿絵の様式的特質とその史的展開
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