鹿島美術研究 年報第30号
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本挿絵を描いていたにも関わらず、やはり彼らについての研究もほぼ手つかずの状態である。確かに、芸術的価値という点では、■飾北斎が最も優れているのかもしれないが、それ以外の絵師たちによっても、多くの裾野が広がり、それが受容されていたという歴史的事実を捨象して、読本挿絵を語ることはできない。本研究の目的は、絵師や絵師の地域、時代を包括し、様式史的観点から、読本挿絵の展開とその特質を明らかにすることである。この読本挿絵の様式史的展開を明らかにすることで、江戸時代における様々なメディアの交流が見えてくることになろう。なぜなら、読本の挿絵は、中国の白話小説を起源としながらも、初期においては、絵草紙類の雅やかな雰囲気を持ち、その後、舶載書籍を参照して独自の「密画」の様式が確立し、これをダイナミックな様式に展開した■飾北斎の挿絵が全国的に流通して、広範囲にその影響をおよぼした。すなわち、「読本」の挿絵は、国内・海外を含みこんだ文化的流通の円滑さが、様式を展開させる契機として機能した、すぐれて江戸時代後期の情報流通状況を反映したメディアだからである。本研究は、読本挿絵の調査を通して、こうしたメディアの情報流通状況を明らかにすることに加え、いままで知られてこなかった、上方読本の挿絵絵師や、江戸における北斎以外の挿絵絵師を掘り起し、「読本」挿絵、江戸時代の浮世絵、視覚的イメージの世界に対し、より広い視野を提供する足がかりにしたいという構想がある。研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期  深 沢 麻亜沙九体の阿弥陀如来像を祀るいわゆる九体阿弥陀像は、寛仁四年(1020)に藤原道長が造立した無量寿院九体阿弥陀像が初例とされ、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、三十余例の造立が史料上で確認されている。京都・浄瑠璃寺九体阿弥陀像は、その頃に制作された九体阿弥陀像の中で、木彫像としては現存唯一の作例である。本像に関し、これまでは主に様式や形式に基づいて制作年代について議論されてきたが、一方でその造像には供養導師経源の思想が反映されているとして、信仰の側面からの研究も行われている。また、道長から始まる九体阿弥陀像造像の意義については、多数の像を造ることがより多くの作善に繋がるとする、数量功徳主義的な立場によるも㉖ 浄瑠璃寺九体阿弥陀像を中心とした平安時代後期の信仰と造像に関する研究

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