鹿島美術研究 年報第30号
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的に問い直すものとして重要と考える。研 究 者:武蔵野美術大学、青山学院大学 非常勤講師  濱 田 瑞 美本研究は、画像および文献による双方の調査を通して、「清水寺式千手観音」の四十手の手印・持物などの図像について明らかにすることを目的とする。八世紀末に造られた清水寺の最初の本尊は、中国の同形式の作例の影響を受けて造られたものとも言われている(副島弘道『日本の美術』4 十一面観音像・千手観音像)。もとより中国に現存する同形式の作例は少なくない。それらとの比較を通して、「清水寺式」の成立について検討を加えていくことの意義は大きいであろう。それに加えて注目したいのは、平安時代後期以降、「清水寺式千手観音」が各地で造像されていくことである。蓮華王院本堂(三十三間堂)の創建当初千手観音の像内納入印仏もその一つに挙げられよう。この時期に「清水寺式」図像が所謂「型」として流布する背景の一つとして、研究者は、嘉承元年(1106)に清水寺別当となった定深の存在に着目している。定深は著作『千手四十手深要决義』『千手形像四十手相対義』を遺しており、これによって千手観音の四十手についての彼自身の研究と理解を窺うことが可能である。従来、経典や儀軌に規定されないと言われてきた「清水寺式」図像に関して、何らかの典拠が示されるものと期待される。同書を含め、千手観音に関連する経軌にみられる四十手に関する記述を整理し、現存する千手観音の四十手の図像との照合により、「清水寺式千手観音」図像の解明を目指していく本研究は、各地における「清水寺式千手観音」の造像とその信仰についての基礎的な研究として位置づけられるとともに、長寛二年(1164)に完成した蓮華王院本堂の創建当初千手観音像にも繋がる問題として、平安時代後期以降の千手観音信仰の様相を明らかにする上で、重要な一石を投じることとなろう。本研究はまた、中国唐宋時代の千手観音の図像研究においても、極めて大きな成果を上げることは言うまでもない。日本の作例および文献による研究が、その源流である大陸の仏教美術の理解に大きく寄与することが、本研究によって改めて顕示されるであろう。㉗ 清水寺式千手観音の四十手図像に関する調査研究 

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