研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 長 沢 朝 代本研究の目的は、15世紀以降イタリアに現れたシバの女王とソロモン王の図像が、アルプス以北の系譜とは異なる図像であることを明確にし、ギベルティがフィレンツェで制作した通称《天国の門》の「シバの女王とソロモン王の会見」場面の源泉を提示することにある。クラウトハイマーはイタリアの旧約聖書サイクルに「シバの女王とソロモン王の会見」場面が選択されることはまれであったと指摘し、《天国の門》の同場面を1439年にフィレンツェで行われた東西教会再統一公会議を寓意する図像として解釈している。事実これまで研究者が調査したところ、アルプス以北では多く見られるシバの女王とソロモン王の図像は、イタリアでは旧約聖書サイクルにもそれ以外の作例にも、《天国の門》以前にはほとんど見られなかった。しかし唯一ローマのオルシーニ枢機卿(1360−1438)邸に描かれていた壁画《著名人たちの像》には、シバの女王とソロモン王の図像が含まれていた。アダムとイヴに始まり14世紀までの歴史上の著名人300人以上を描いたこの《著名人たちの像》の壁画は現在では残っていないが、ミラノのクレスピ・コレクション、パリ国立図書館などが所蔵する8冊の写本によって人物名と図像が伝えられている。オルシーニ枢機卿は西方教会における教会大分裂の時期、教皇の正当性や権利を擁護するためにピサ公会議やコンスタンツ公会議へ赴き尽力した人物であった。モードの先行研究ではオルシーニ邸の《著名人たちの像》には教会の優位性を主唱する枢機卿自らの立場が表明され、この壁画に描かれていた教皇至上主義者のボニファティウス八世の姿からも、そのことがうかがえると指摘されている。またオルシーニ邸のシバの女王の図像の文学的源泉としてモードは、ボッカッチョの『名婦列伝』を挙げており、ソロモン王と共に描かれたシバの女王を、女性は男性に従うべきものという模範を示す図像として解釈している。さらに興味深い点は、この壁画に描かれたダヴィデ王である。ダヴィデ王はゴリアテを倒した姿で描かれており、ダヴィデ王であることを示すのであればこれで十分である。しかしこの壁画にはダヴィデ王の息子アブサ㉘ ロレンツォ・ギベルティ作《天国の門》─「シバの女王とソロモン王の会見」その源泉をめぐって─
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