鹿島美術研究 年報第30号
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ロムの姿が描かれている。アブサロムは父ダヴィデ王に反逆し殺害された人物である。この図像からは子は父に、家臣は王に従うべきものであるという意図を読み取ることが可能であり、シバの女王とソロモン王の図像と共に、西方教会分裂の時代に一つの教会と一人の教皇を希求するオルシーニ枢機卿の意図が現れた図像として解釈することができよう。クラウトハイマーは扉全体の構成、場面選択、要約された表現から《天国の門》を初期キリスト教教父による聖書解釈のリバイバルとして捉えている。つまり《天国の門》は15世紀初頭における初期キリスト教教父の原典研究という、人文主義的な潮流の成果によって構成されているといえよう。「シバの女王とソロモン王の会見」場面についても、オルシーニ枢機卿邸の同図像の意図との類似点を明らかにすることで、これまで単に1439年のフィレンツェ公会議と結びつける解釈にとどまっていた《天国の門》の「シバの女王とソロモン王の会見」場面は、『名婦列伝』という著作に基づいた人文主義的選択として位置付けられるのである。さらにオルシーニ邸のシバの女王とソロモン王の図像が担う役割と関連づけられることで、《天国の門》の「シバの女王とソロモン王の会見」場面の政治的寓意としての解釈は、さらに実証性を持つことになるだろう。研 究 者:小田原市文化部生涯学習課 郷土文化館係・学芸員  中 村 暢 子「普賢十羅刹女像」は、普賢菩薩と十羅刹女を一図に表す儀軌的典拠が不分明であることに加え、信仰の対象である十羅刹女を世俗的な姿で表す和装本は、規範に忠実である仏画としては特異なものである。そのため、これまでの研究においては、主として和装本の成立過程の問題が女人救済を説く法華経に対する宮廷女性の信仰という観点から論じられてきた。近年では、神仏習合思想とのかかわり、一品経供養を軸とした人的関係や法会のあり方から、具体的に和装本が成立し得た背景について考察がなされており、図像の展開過程についても明らかにされてきている。本研究の目的は、唐装本の基礎的な調査を行うことによって、和装本と唐装本の性格の違いを考察するとともに、「普賢十羅刹女像」の成立過程を再検討することにある。㉙ 「普賢十羅刹女像」唐装本の研究

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